(たかしろやまとりで)
掛川市細谷
▲ 高代山砦は原谷郷の関門にあたる位置にあり、原氏の出城説などがあるが、その詳細は
明らかではない。(写真・東側から見た砦跡。右側の竹藪の高所が主曲輪である。)
原谷郷関門の砦
原野谷川中流域に広がる田園地帯は古くから原谷(はらや)郷と呼ばれてきた。現在の掛川市細谷、同本郷辺りである。鎌倉以来同地に勢力を保ち、戦国期には国人領主として栄えた原氏の領域であった地域である。その南端に築かれているのがこの高代山砦である。ここから2kmほど南には今も昔も変わらず東西交通の大動脈である東海道という街道が通じている。古来、戦の度にこの街道を多くの兵馬が西へ東へと駆け抜けた。原氏も原谷の郷土からこの街道を駆けて出征し、またこの街道からの侵入者には身を挺して郷土を守ったことであろう。いわば高代山砦は原谷郷の出入り口に築かれていることになる。 |
![]() ▲ ニノ曲輪から南側を望見。もう一つの独立丘は工場用地となって消滅してしまった。 |
![]() ▲ 写真の高い所は主曲輪の南に設けられたニノ曲輪跡である。 |
![]() ▲ ニノ曲輪の削平部。この向こう(北側)には幅6mほどの堀切があって主曲輪(竹藪)があると城館資料にあるが、藪がひどくて踏み入ることはできなかった。 |
![]() ▲ 砦南端部は道路建設のために切断された状態となっている。中央部が土塁断面のように見えるが、これは茶畑の拡張によってこうした形になったものと思われる。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年3月3日 |
主要参考資料 | 「静岡県の中世城館跡」 |
↑ | 「掛川の古城址」他 |