(さだじょう)
浜松市中央区舘山寺町
▲ 佐田城は室町時代に当地に城館を構えた堀江氏の城と伝えら
れている。しかし、遺構や文献等からはその位置が確認されておらず、
字名から類推して舘山がその城跡であったろうと見られている。
(写真・中央の半島状の山が佐田城跡と伝えられる舘山。)
領主の遺徳を慕いて地名となす
佐田城主堀江氏が遠江の当地に来住して城館を構えたのは応永年間(1394-1429)のこととされている。初代城主は堀江光真という。 |
▲桜塚。舘山寺の南南東約1.4kmの高台にある。大永二年の佐田城落城にまつわる話が伝えられている。(2023春) |
▲桜塚の説明板。「大永二年(1522)、佐田城を攻めるため女隠密を城中に腰元として送り込まれ、佐田城は落城しました。それを恨みに思った佐田(旧堀江)の人々は彼女を逆さまに埋め、その上に桜を植えた。または、城主の養女が敵の武士と恋におち、逢瀬を重ねる毎に敵に内通したものと思われ処刑をされたうえ逆さまに埋められたとも伝えられています。そして、その桜は下向きに花を咲かせたそうです。現在二代目の桜は昭和三十年に、植えられました」と書かれている。 |
▲舘山の最高所富士見岩からの眺望。 |
▲西行岩から対岸(大草山)を見る。矢印は伝説の稚児岩。前日の大雨のため、湖水が濁っていた。 |
▲舘山の南側中腹にある曹洞宗秋葉山舘山寺。 |
▲舘山西側の頂部に建つ観音像。 |
▲舘山全体が岩場となっている。。 |
▲舘山には遊歩道が整備されている。 |
▲舘山東側の頂部の岩場。富士見岩と名付けられており、浜名湖が見渡せる。 |
▲舘山東端の西行岩。 |
▲対岸の稚児岩(望遠)。 |
▲舘山南側の入り江。矢印は御陣山。 |
▲御陣山。 |
▲舘山南側中腹の舘山寺。 |
▲大草山から見た庄内半島。手前の遊園地部分は堀江城跡。 |
▲舘山の3.6km西方にある根本山。黒山の戦いの場所と見られている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年10月27日 |
主要参考資料 | 「古往今来」 |
↑ | 「古城49、57号」他 |