(あしがらじょう)
静岡県駿東郡小山町竹之下
▲足柄城は往古より関東の入り口となる足柄峠に街道を扼する
形で築かれた後北条氏の防塁である。しかし、肝心の守将らが
逃げ腰ではさしたる役目も果たせないまま落城となってしまった。。
(写真・本曲輪に建つ城址碑。)
関東の防塁
足柄峠は古来からの交通路として存在しており、現在は県道78号となって車で簡単に往来できるが、かつては関が設けられて相模と駿河の国境を監視する要所であった。この関から東を関東と呼ぶ。 |
▲二の曲輪から見た三の曲輪とその間の堀切跡。 |
▲本曲輪と二の曲輪の堀切。 |
▲足柄峠。標高759mである。 | ▲足柄之関跡。 |
▲聖天堂前の金太郎像。 |
▲登城口。階段を上がると本曲輪である。手前の道路は県道78号。 |
▲登城口階段前の城址碑。 |
▲本曲輪。公園化のために整地され遺構の多くが破壊されたという。 |
▲本曲輪北側の玉手池。井戸跡の可能性も考えられている。 |
▲本曲輪に建つ城址碑。晴れた日には富士山の絶好の撮影スポットとして知られている。 |
▲二の曲輪からの展望。あいにくの曇天であった。 |
▲二の曲輪。 |
▲本曲輪から神奈川県側の山の守曲輪の間の吊り橋。 |
▲県道から見た吊り橋。 |
▲県道の左側が本曲輪のある静岡県、右側が山の守曲輪の神奈川県となる。 |
▲神奈川県側の山の守曲輪の社。 |
▲新羅三郎義光吹笙之石。後三年の役で源義家の援軍として弟義光は奥州へ向かった。その途次、この石に座り笙の奥義を豊原時秋に伝授したという。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年6月21日 |
主要参考資料 | 「静岡県の城跡」静岡古城研究会 |
↑ | 「静岡の山城ベスト50を歩く」他 |