(にらやまじょう)
国指定史跡
静岡県伊豆の国市四日町
▲ 韮山城は北条早雲が伊豆支配の拠点とした城であり、関東進出後も終始この城を居城
とし続けていた。その後、五代百年にわたり後北条氏は栄え、豊臣秀吉によって滅ぼされて
しまう。この韮山城も豊臣勢との籠城戦の末に開城降伏したが、幸いにも城主北条氏規に
よって後北条氏の名は継がれて狭山藩主として明治に至った。(写真・韮山城権現曲輪)
後北条氏、原点の城
天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原の役において、韮山城は後北条氏の城として寡兵ながらも最も長期にわたって豊臣勢の攻囲に耐え抜いた城として知られる。この戦いで韮山城は落城、五代百年にわたって栄えた小田原城の後北条氏は滅亡した。その後北条氏の出発点・原点となったのがこの韮山城なのである。 |
▲権現曲輪の土塁。 |
▲権現曲輪から二の丸へ。 |
▲ 城池越しに眺めた韮山城址。 | ▲ 城池川の登城口。この日は散策路の補修工事中であったので資材や土嚢などが置かれていた。 |
▲ 登城口からクランク状の路を登ると右手が三ノ丸である。城内最大の曲輪で三方は土塁で囲まれている。現状は韮山高校のテニスコートとなっている。 |
▲ 三ノ丸の南側、堀切路を入って行くと権現曲輪である。 |
▲ 権現曲輪から散策路を南へ登ると二ノ丸である。土塁が巡っている。 |
▲ 二ノ丸と本丸の間の堀切跡。 |
▲ 城内最高所の本丸への登り口。 |
▲ 本丸。ここにも低くなっているが土塁の跡が見られる。 |
▲ 本丸から尾根伝いにさらに南へ向かう。 |
▲ 最南端近くには土塁で四角に囲まれた小さな曲輪がある。塩蔵と呼ばれている。煙硝曲輪ではなかったかと見られている。 |
▲ 塩蔵の虎口。 |
▲ 登城口に立つ説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年1月3日 |
主要参考資料 | 「静岡県古城めぐり」他 |