(ふかざわじょう)
県指定史跡
静岡県御殿場市深沢
▲深沢城は甲・相・駿の境目城として武田、後北条の両軍によって
再三にわたり争奪戦が繰り返された要衝の城である。城攻めの際に
武田信玄が開城勧告の矢文を射込んだことでも有名である。
(写真・三の丸南側城址入口に建つ城址碑と説明板。)
信玄、矢文にて開城を迫る
戦国期、甲・相・駿(甲斐、相模、駿河)の三国を結ぶ街道の要所に位置するこの深沢城は境目の城として重要視され、甲斐の武田氏と相模の後北条氏によって争奪戦が繰り返された。 |
▲三の丸西側の三日月堀。 |
▲本丸。北端の曲輪で最大の広さを持つが二の丸より低い位置にあり、現在では三の丸にあたると見られている。 |
▲三の丸南端の道路沿いに建つ城址碑。 | ▲説明板の城址図。 |
▲城址碑の裏に残る三日月堀。 |
▲三の丸東に設けられた馬出し。 |
▲三の丸東南の堀跡。 |
▲三の丸。 |
▲下馬溜り。二の丸と三の丸間の馬出しとなる。 |
▲二の丸。三つの曲輪のうち最高所にあたることから現在はこちらが本丸と見られている。 |
▲袖郭。 |
▲本丸西端の城櫓跡。 |
▲本丸西側を湾曲して流れる馬伏川。 |
▲本丸と二の丸間の土橋。 |
▲食糧庫跡。 |
▲二鶴様式の堀跡。 |
▲三の丸の八幡宮。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年6月21日 |
主要参考資料 | 「静岡県の城跡」静岡古城研究会 |
↑ | 「静岡の山城ベスト50を歩く」他 |