(ながくてこせんじょう)
国指定史跡(御旗山、首塚、色金山)、市指定史跡(長久手城址、木下勘解由塚、堀秀政本陣地趾)
愛知県長久手市武蔵塚、他
▲長久手合戦は小牧の陣の膠着状態を打開するために羽柴秀吉方が徳川家康の
本拠地岡崎を衝くために出陣させた「中入り」軍を家康軍が追撃、これを壊滅
させた戦いである。将来、家康が天下を取るための足固めとなっ戦いでもある。
(写真・長久手市古戦場公園の古戦場碑)
野戦の家康、秀吉軍を壊滅
天正十二年(1584)三月七日、徳川家康は浜松城を出陣した。羽柴秀吉に敵対した織田信雄を援けるためである。 |
▲犬山城。 | ▲小牧山城。 |
▲楽田城。 |
東の空が白々と明ける頃(4:00過ぎ)、秀次隊の右側から先発隊の大須賀康高隊、丹羽氏次隊が攻撃を開始した。不意を襲われた秀次隊は混乱状態となり、さらに榊原康政隊が背後を衝いてきたために総崩れとなってしまった(白山林の戦い)。秀次は田中吉政を呼んで前陣の堀秀政と池田恒興に報告のために走らせ、自らは陣を立て直すために南下して香流(かなれ)川を渡り、細ヶ根(長久手市原山・荒田付近か)に陣取った。ここで秀次の馬が逃げたため通りかかった可児才蔵に馬を貸せと命じたが断られたという。それにしても徳川先発隊の追撃は激しく、秀次は細ヶ根に止まることが出来ずについに家臣吉田久左衛門勝忠と兵数人に守られて戦場を離脱、犬山に遁走したという。細ヶ根を離れる際、配下の木下勘解由利匡が馬を秀次に与え、兄弟の助左衛門祐久とともに秀次の馬印を立てて踏みとどまり、討死した。 |
▲木下勘解由塚。 | ▲岩崎城。 |
▲岩崎城の城代・丹羽氏重の像。 |
「中入り」軍の中間を進軍していた堀秀政の第三陣は未明に金萩原(長久手市金萩付近)に到着して休憩をとっていた。金萩原は岩崎城の北北東約2km、秀次隊の白山林からは南東方向に約4.5kmの位置にある。第一陣から堀隊の第三陣までは間合いを詰めて進軍しており、秀次の第四陣のみがやや遅れて進軍していたようだ。この時、休憩中の秀政の耳に後方から銃声が聞こえた。不審に思った秀政は物見を放って確認を急がせた。 |
▲色金山歴史公園。 色金山に布陣した家康は眼下で善戦する秀吉方の堀秀政隊と先陣の池田恒興、森長可の隊が合流するのを防ぐために自ら率いる本隊を前進させた。 |
▲御旗山。 色金山を出撃した家康は堀秀政隊の背後に突出して富士ヶ根の頂きに金扇の馬印を立てたのである。 富士ヶ根は後年、御旗山と呼ばれるようになり、現在では国の史跡に指定されている。 |
▲色金山歴史公園。 | ▲色金山の床机石。家康が戦場を俯瞰して軍議を開いた。 |
▲桧ヶ根の堀久太郎秀政本陣地跡。 |
前山の高所に陣取った家康は池田、森隊の布陣する様子を俯瞰しつつ諸隊に向け矢継ぎ早に指示を出していた(9:30頃)。戦機到来と判断した家康は直ちに戦闘開始の下知を諸隊に下した(10:00頃)。猛烈な勢いで突進する徳川勢はたちまち森長可隊と池田之助隊の第一線を撃破し、仏ヶ根から突進した井伊直政、奥平信昌の隊は池田之助、輝政隊と激しくぶつかり合った。 |
▲武蔵塚。森武蔵守長可の戦死地と伝えられる。織田信長と共に本能寺に斃れた森蘭丸の長兄。鬼武蔵の異名を取った勇猛果敢な武将。美濃金山城主。 | ▲庄九郎塚。池田之助(元助)の戦死地と伝えられる。池田恒興の長男。岐阜城主。 |
▲勝入塚。池田勝入恒興の戦死地と伝えられる。織田信長の乳兄弟。信長と幾多の戦場を共にし、戦功を重ねた。家督は戦場を脱した次男輝政が継いだ。 |
楽田の秀吉に白山林の敗報が届いたのは昼近くであったといわれる。秀吉は急いで二万余の軍勢を率いて長久手方面へと出発した。途中で池田恒興、森長可の戦死報告を受けつつ竜泉寺山(守山区竜泉寺)に達し(14:00頃)、物見を放って情報収集につとめた。秀吉は家康が小幡城に撤収したことを知ると夜陣を張って明朝の攻撃に備えた。ところが夜が明けると小幡城に徳川勢はなく、家康は小牧山に戻ってしまっていたのである。仕方なく秀吉も楽田に戻った。 |
▲首塚。岩作村安昌寺の雲山和尚が村人と共に戦死者を葬り、塚を築いた。毎年合戦の日には法要が営まれている。 | ▲三将の墓所。三将とは池田恒興、之助父子と森長可のことである。常照寺の境内にある。 |
▲鎧掛けの松。近くの池(血の池)で刀槍を洗う際に部将が鎧を掛けたと伝わる。現在の松は4代目。 |
▲血の池公園。血に染まった刀槍を洗った池と伝わり、合戦の日頃には水が赤く変わったと言われる。現在、池は無くなっている。 |
▲色金山歴史公園内に建つ「長久手合戦慰霊碑」。合戦の戦死者は三千に達したとも言われる。 |
▲長久手古戦場公園に建つ古戦場碑。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年3月15日 |
主要参考資料 | 「長久手の戦」 |
↑ | 「岩崎城の戦」他 |