(ふくよじょう)
県指定史跡
長野県上伊那郡箕輪町
▲福与城は上伊那郡箕輪郷を拠点とした藤沢氏の居城であった。天文14年
(1545)の武田氏との攻防戦では五十日間耐え抜いたことで有名な城である。
(写真・南城から見た空堀と主郭。)
武田の城攻めに耐えた箕輪の堅城
戦国期、上伊那の箕輪地域に勢力を張った藤沢氏であるが、その出自に関しては諏訪神氏の傍流であるとか諸説あって明確ではない。少なくとも室町時代の康正三年(1457)頃には箕輪郷に勢力を保持していたとされている。 天文十九年(1550)、小笠原氏の本拠の林城(松本市)が武田氏によって落とされ、長時は没落した。藤沢頼親も流浪の身となり、上洛して三好長慶に仕えるなどしたという。 |
▲主郭(左)と北城(右)の間の空堀。 |
▲主郭南側の堀跡。 |
▲城址入口。 |
▲城址入口に立つ説明板。 |
▲説明板の見取り図。 |
▲入口の右側(東)は乳母屋敷と呼ばれる曲輪となっているが現在は畑地である。 |
▲左側(西)は南城の一画であるが、こちらも畑地となっている。 |
▲入口から案内路は一直線に主郭へと続いている。 |
▲南側から見た主郭。手前は空堀であるが現在は土橋状になって続いている。 |
▲主郭南側の空堀。 |
▲空堀を越えて主郭へ向かう。 |
▲主郭に立つ城址標柱。 |
▲主郭北側の空堀から見上げた主郭切岸。 |
▲主郭西側の二の曲輪。 |
▲再び主郭南側の堀底。主郭へ続く土橋状の通路下はトンネルとなっていた。 |
▲主郭にあった説明板。 |
▲城址入口の駐車場。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2016年8月18日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
〃 | 「信州の城と古戦場」他 |