(ひさいじんや)
三重県津市久居西鷹跡町
▲久居陣屋は津藩の支藩として成立した久居藩の藩庁であった。当初は総構を持ち石
垣造りの御殿が計画されたが幕府に認められず、質素なものとなったという経緯がある。
(写真・御殿域内の高通児童公園と久居中学校。)
許されなかった久居城
寛文九年(1669)九月、津藩(津城)二代藩主藤堂高次は自身の隠居と支藩立藩を幕府に願い出て許可された。この支藩というのが当地に陣屋を構えた久居藩である。支藩は他藩にもみられるように世嗣断絶による改易を防ぐための分家で、本藩に世継ぎの無い場合は分家である支藩から世嗣を得ることができるというものである。 |
▲御殿域の南端部の一部が公園となっており、初代藩主の名をとって「高通児童公園」と名付けられている。 | ▲藤堂高通公生誕350年記念句碑。フェンスの向こう側は崖となっている。 |
▲公園の西側のグランド。かつてはこの周囲には土居が廻っていた。 |
▲グランドの北側に残る水路。かつての堀跡であるが、城郭ではないので「溝」と呼ばれていた。 |
▲公園の入り口に立つ説明板。 |
▲説明板の御殿部分。御殿の建っていた地域は宅地となって住宅が建ち並んでいる。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年11月15日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「藤堂藩のお殿さま」他 |