(つじょう)
県指定史跡、続百名城
三重県津市丸之内
▲津城は戦国期には安濃津城と呼ばれ、関ヶ原合戦に先立ち西軍三
万の軍勢を相手に孤軍奮闘したことで知られる。その後、藤堂高虎の
入部によって城は大きく改修され、藤堂藩の府城として明治に至った。
(写真・東鉄門の石垣上に建造された三層模擬櫓。)
築城名人高虎によって完成した津の府城
この地が単に津と呼ばれるようになったのは藩政期以後のことで、それ以前は安濃津と呼ばれていた。したがって戦国期の津城は安濃津城と呼んだ方が良さそうである。 |
▲駐車場からまず目に入るのがこの三層の櫓である。昭和33年(1958)に高虎入府350周年事業として建造された。櫓門のあった場所に建てられており、隅櫓本来の場所ではない。 | ▲高虎公句碑。「しらはたや花さく山の一備へ」高虎が関ヶ原合戦を想った句らしい。 |
▲「お城公園」の碑。 |
▲津城本丸東側の虎口。東鉄門の枡形である。 |
▲本丸跡。中央に噴水が設けられている。 |
▲本丸跡の噴水西側に建つ「藤堂高虎公」の騎馬像。 |
▲西之丸跡。現在は日本庭園として市民散策の場となっている。 |
▲藩校「有造館」の講堂の正門「入徳門」。廃城後も学校等の正門として使われ、移設を繰り返していたが昭和46年にここ西之丸跡に移設保存された。 |
▲本丸天守台。当初は五層の天守、関ヶ原時に焼失して三層の天守が建てられたが江戸期に焼失してからは再建されることはなかった。 |
▲本丸南側の石垣。かつては広大な内堀に面していたが、現在では完全に埋め立てられてしまっている。 |
▲本丸丑寅櫓跡から見た北側の堀。 |
▲本丸北側の堀と石垣。藤堂高虎によって拡張された部分で、幅広の水堀であったが今では埋立が進み、1/4ほどになっている。 |
▲西之丸北側の堀と石垣。 |
▲西之丸の土橋。 |
▲説明板の縄張図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年11月15日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |