(ながのじょう)
国指定史跡
三重県津市美里町桂畑
▲長野城は中伊勢に勢力を誇った長野氏の拠城である。長野氏は
南北朝時代以降、南伊勢の北畠氏と果てしのない抗争を続け、
最終的には織田氏によって北畠氏もろとも滅ぼされてしまった。
(写真・主曲輪東側の腰曲輪に建つ城址碑と説明板。)
中伊勢の雄長野氏を支えた孤高の山城
長野氏は伊勢国中部に勢力を誇った国人である。鎌倉期の延応元年(1239)に工藤祐長が安濃、庵芸二郡の地頭に補せられたのを期に子の祐政が長野に土着して長野氏(初代)を称したのに始まる。長野城は二代祐藤が文永十一年(1274)に築いたと言われている。 |
▲「長野城2.4km」の分岐点からしばらくは狭い道幅ながらも舗装されている。 | ▲やがて未舗装となる。 |
▲ここから先は乗用車では無理であり、危険と判断して徒歩で城址を目指した。 |
▲徒歩開始10分ほどで城址に到着した。仮設トイレが設置されている。 |
▲登城は西側からとなる。主曲輪までに数段の削平地が設けられている。 |
▲主曲輪西側の一段下がった曲輪。この先が主曲輪である。 |
▲主曲輪。西側にはコの字形に土塁が巡っている。 |
▲主曲輪西側の土塁。 |
▲主曲輪北側の土塁。 |
▲主曲輪東側の腰曲輪。ここに城址碑と説明板が立っている。 |
▲城址碑付近からの眺め。遠く伊勢湾まで望むことができる。 |
▲「史跡長野氏城跡」の碑。国指定史跡になっている。 |
▲腰曲輪から見た主曲輪との段差。訪れる人も稀であろうと思われるが、荒れることなく手入れが行き届いている。 |
▲城址碑横の説明板。 |
▲説明板の縄張図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年11月15日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「諸国廃城考」他 |