(みせやかた)
県指定史跡
三重県多気郡大台町上三瀬
▲三瀬館は織田信長の伊勢攻略によって隠退させられた北畠具教がその
隠居所として築いた居館城であり、北畠氏滅亡の舞台になった場所でもある。
(写真・館跡に建つ石碑と説明板。)
北畠氏滅亡、三瀬の変
永禄十二年(1569)、伊勢国司八代北畠具教と九代具房は八千の兵をもって伊勢攻略の織田信長の大軍七万を相手に大河内城に籠って戦った。戦いは五十日に及び、北畠勢の健闘が続いたが、信長の申し出を受け入れて和睦開城した。信長の次男茶筅丸(信豊、後の信雄)を子の無かった具房の養嗣子としたのである。 |
▲「胴塚の碑」。北畠具教の胴塚の碑と伝えられ、江戸初期に北畠旧臣の子孫の発意によって造立されたと言われる。元は当地字西村(現宮川高校)にあり、後にここへ移された。 | ▲胴塚の碑の一段上の段に建てられた「北畠具教郷三瀬館趾」の碑と説明板。石碑の「郷」の字は「卿」のことである。 |
▲館跡の碑の上の段。 |
▲さらに上にも段曲輪があり、法面には石塁跡のような石が見受けられた。 |
▲説明板には三段とあったがそれ以上に数えられたのだが。 |
▲館跡の前(南側)に胴塚への案内板が立っている。 |
▲案内板の方向に小川が流れており、それを渡ると胴塚がある。 |
▲「北畠具教卿胴塚」。 |
▲館周辺は公園化されており、これはその案内図である。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年1月3日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |