(おかわちじょう)
:県指定史跡
三重県松阪市大河内町
▲大河内城は南北朝合一後、和約を反故にする幕府に憤慨した北畠満雅
が幕府軍との戦いに備えて築いたとされる。戦国期には北畠氏が織田信長
の大軍を迎え撃つために籠城、北畠氏最後の戦いが繰り広げられた。
(写真・大河内城本丸。)
北畠氏最後の籠城戦
六十余年に及んだ南北朝の対立も明徳の和約(1393)で南北朝合一が成った。その後、合一の条件であった大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)による両統迭立が実質的に反故にされ続けてしまっていた。この事態に憤慨したのが南朝方で伊勢に勢力を保持していた伊勢国司三代北畠満雅であった。
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▲国道166号沿いの駐車場から大河内城を見る。 | ▲駐車場に立つ説明板。 |
▲駐車場から城山へ向かうと西蓮寺の石垣に突き当たり、右へ行く。 |
▲大河内城跡の案内板が立っている。登城口である。 |
▲案内板付近から見上げる城山。 |
▲搦手門跡の標柱が立つ。 |
▲二の丸。 |
▲表忠碑等の石碑が並ぶ二の丸跡。 |
▲二の丸の北側の平坦地は馬場跡と呼ばれている。 |
▲馬場跡の標柱。 |
▲二の丸から本丸への登り口には御納戸跡の標柱が立っていた。 |
▲本丸。現在は大河内神社の境内地となっている。 |
▲本丸跡。 |
▲本丸跡の標柱。 |
▲本丸跡に立つ説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年1月3日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |