(かめやまじょう)
県指定史跡
三重県亀山市本丸町
▲ 亀山城は鎌倉期より当地を治めた関氏の本拠地として
戦国期に至り、関氏の後に近世城郭として再修築された。
(写真・江戸末期の姿に復元された本丸多聞櫓。)
関五家の本城
鈴鹿郡久我で生まれたと言われ、平資盛の子孫と称する平実忠が史上に躍り出たのが元久元年(1204)に起きた三日平氏の乱に於いてであった。この乱は平氏残党の反乱事件であったが、実忠はこの鎮圧に参じて奮戦したのであった。この時の戦功で実忠は鈴鹿郡関谷二十四郷の地頭職に補せられ、関に館(亀山市山下町)を築いて関氏を称した。関氏の始まりである。 |
▲本丸跡の亀山神社。亀山藩主石川氏の先祖源義家、源義時、石川義純を祭神としている。 | ▲本丸多聞櫓北側の井戸跡。与助井戸と呼ばれている。城外への抜け穴伝説があるそうだ。 |
▲本丸多聞櫓への登り口。明治になり城は破却されたが、この多聞櫓だけは石川家旧臣が失業士族の授産場として落札したため取り壊しを免れた。 |
▲本丸多聞櫓南面。明治以降、傷みが激しく壁も板張りで補修されていたが、平成25年(2013)4月に江戸末期の姿に復元された。 |
▲本丸多聞櫓の石垣。かつてはこの石垣のうえに天守が建っていたという。 |
▲多聞櫓の北側に立つ「亀山城楠門跡」の標柱。 |
▲復元された二之丸帯曲輪(外側から)。 |
▲公園の池であるがかつての外堀跡である。 |
▲本丸北端に建っていた三重櫓跡。 |
▲二之丸帯曲輪。 |
▲二之丸から帯曲輪への出入り口であった埋門の跡。 |
▲二之丸帯曲輪の図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年1月2日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「三重の山城ベスト50を歩く」他 |