(ひのじょう)
滋賀県蒲生郡日野町西大路
▲ 日野城は中野城とも呼ばれる蒲生氏後期の居城てあった。後に
会津九十二万石の大名となった蒲生氏郷はこの城で生まれた。
(写真・本丸北東側の堀と土橋。)
義を守て降らず
日野城は蒲生氏の居城として天文二年(1533)に築城され始めたものであるが、長い歴史をもつ国人領主の城にしては歴史が浅い。それもそのはずで、蒲生氏本来の城は音羽城(日野城の東南東約2km)なのである。場合によってはこちらも日野城と呼ばれることがある。つまりは蒲生氏の城、日野城なのである。地元では音羽城に対してこちらの城を中野城と呼んでいるようだ。要するに蒲生氏初期の日野城が音羽城であり、蒲生氏後期の日野城がこの中野城なのである。 |
▲ 本丸虎口跡に建つ「中野城趾」の碑。 | ▲ 城址東側に迫る日野川ダム湖。 |
▲ 駐車場から城跡へ向かうと中野城跡の大きな説明板が立っている。 |
▲ 説明板からさらに進むと堀切のような切通しが見え、城跡の風情を感じさせてくれる。 |
▲ 切通しを抜けて振り返ると日野城跡の石碑が建っていた。背後の石垣は後世のものであろう。 |
▲ 日野城跡の石碑から先は土橋となっていて両側に堀が確認できる。 |
▲ 日野城跡の石碑の背後の石垣に設けられた階段を上がると稲荷社がある。かつての土塁の上に建てられている。 |
▲ これも土塁上の稲荷社。土塁の幅が広く、かなり堅固な造りであったことが分かる。 |
▲ かつての本丸跡は宅地と茶園になっている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年9月15日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭史料集」他 |