(あづちじょう)
国指定特別史跡、百名城
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦
▲ 安土城は織田信長の壮大な夢を実現しようとした城であり、その
築城方法においても総石垣というそれまでの常識を超えたものであった。
(写真・本丸西虎口から見た枡形と櫓台。)
天下布武の巨城、
信長の安土計画
安土城ほど戦国の世に光彩を放った城はないだろう。全山総石垣、壮麗を極める天主、そして近年の調査でその姿を現した一直線に伸びる大手道、そのどれもが当時にあっては常識を覆した城郭の出現であったのだ。 |
▲ 大手口前の石塁跡。平成元年(1989)から本格的な発掘調査が開始され、現在では見事な石垣遺構が復元されている。 | ▲ 城内に入るにはこの大手門口に設けられた受付で入山料を納めなければならない。 |
▲ 受付を通ると目の前に復元整備された大手道が真っ直ぐに伸びている。他の城郭には見られない光景である。 |
▲ 大手道の左右両側にはこれまた発掘整備された屋敷跡が階段状に並んでいる。それぞれ伝羽柴秀吉邸、伝前田利家邸、伝徳川家康邸などと名付けられている。 |
▲ 大手道を上がり詰めると道は左に折れてやがて伝織田信忠邸跡の前に出る。 |
▲ 伝信忠邸跡からさらに石段を上ると伝黒金門跡と呼ばれる枡形虎口に至る。 |
▲ 黒金門を過ぎるとこの風景である。今までは、安土城といえば必ず出てくるのがここを写した写真であった。 |
▲ 本丸に入る前に二の丸に立寄る。 |
▲ 二の丸には織田信長廟がある。まずは信長公に参拝する。 |
▲ そして本丸跡である。ここに建てられた御殿には天皇を迎え入れる「御幸の間」があったと言われる。 |
▲ いよいよ天主台に登る。 |
▲ 天主跡の礎石群。他の城は天守と書くが安土城のみは天主と書く。まさに天下を統べる主の居する所であったのだ。 |
▲ 天主跡から琵琶湖を望む。築城当時は湖面は眼下に迫っていた。 |
▲ 再び信忠邸前に戻り、右手西へ向かう。 |
▲ ハ見寺三重塔。 |
▲ ハ見寺跡。信長が自らの菩提寺にしたと伝わる。 |
▲ ハ見寺跡から西方を眺望。西の湖越しに秀吉が築いた八幡山城(矢印)が望見される。 |
▲ ハ見寺二王門を出て石段を下る。百々橋口道と呼ばれる登城道である。 |
▲ 百々橋口道は麓の手前で通行止めとなっている。有料化されたためであろうか。山腹の山道を周回して再び大手道の秀吉邸跡に出る。 |
▲ 県道2号線から城址駐車場に入る交差点に建つ安土城址の碑。 |
▲ 安土城近くの県立安土城考古博物館から眺めた安土山。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年9月15日 |
主要参考資料 | 「天下布武の城 安土城」 |
↑ | 「名城物語 1 信長の城」他 |