八幡山城
(はちまんやまじょう)

続百名城

滋賀県近江八幡市宮内


▲ 八幡山城は近江八幡城とも呼ばれ、織田信長の築いた安土城の近くに築かれている。安土城下に
集められた職人や商人を八幡山城下に移して新たな城下町が形成され、近江商人発祥の地となった。
(写真・安土城跡から眺めた八幡山城(望遠使用)。中央最高所が本丸。)

近江商人と秀次を育んだ
             近江八幡の城

 天正十三年(1585)、羽柴秀吉は紀州征伐と四国平定を成功させ、朝廷に於いては関白となり、着実に天下人としての地歩を固めていた。この年、秀吉は織田信長の築いた安土城跡の西約5kmの八幡山に城を築き、甥の秀次に近江四十三万石を与えて城主とした。秀次自身は二十万石であったが付家老としてその配下に置かれた田中吉政、中村一氏(水口岡山城)、山内一豊(長浜城)、堀尾吉晴(佐和山城)、一柳直末(竹鼻城)らの所領を合わせてのことであった。

 この時期、三河・遠江・駿河・信濃・甲斐の五ヵ国を領して関東の後北条氏と手を組んでいる徳川家康と秀吉の関係は小牧長久手合戦(1584)以来、依然として敵対状態にあった。秀吉が八幡山城を中心として東近江に強力な布陣態勢を展開したのも家康を意識したものであったことは言うまでもないだろう。

 同時に近江の経済基盤を押え、保護・成長させることも秀吉の八幡山築城の目的でもあっただろう。後に近江八幡は近江商人発祥の地として名をはせることになるが、それはこの八幡山城の城下町が原型となってその後も長く商人経済の街として保たれてきたからにほかならない。

 城主となった秀次はこの時十七歳であった。領内には善政が布かれたと言われるが、田中吉政ら家老衆の補佐があったればこそのことであっただろう。

 天正十八年(1590)、小田原征伐で秀次は先鋒の総大将として出陣、東海道の盾と言われた北条方の山中城(静岡県三島市)をわずか半日で落としてしまうという武功を上げた。小牧長久手合戦では「中入り」作戦(岡崎城攻撃)の総大将となったが徳川勢の逆襲を喰らって惨敗を喫したことがある。まだ十五歳の頃のことであった。それから七年、秀次は八幡山城で為政者としてまた武将としても大きく成長していたのである。

 小田原征伐後、秀次は織田信雄の旧領百万石を与えられて清州城主となった。翌天正十九年(1591)、関白に就いた秀次は聚楽第に入り、秀吉の後継者として政務を執ることとなった。

 秀次の後に八幡山城に入ったのは京極高次で二万八千石の城主としてであった。

 五年後の文禄四年(1595)、いわゆる秀次事件で秀次および関係者(家族・側室・侍女を含む)が処刑されるという惨事が起きた。そして秀次の居た聚楽第とこの八幡山城も破却されてしまった。この当時の城主京極高次は近江大津城六万石に加増移転となり、破却される八幡山城から去っている。

 ところでこの八幡山城は豊臣期の城としてはめずらしく山上に城郭か築かれ、居館は山腹から山麓部分に築かれていた。いわゆる戦国期の居館と詰城が分離していた古い形態をとっているのである。やはり、徳川勢との対決を意識したものと見られている。

 現在ではロープウェイを利用すればほんの数分で山上に登ることができる。本丸跡には昭和36年(1961)に京都から移転した村雲御所瑞龍寺が建っている。瑞龍寺は秀次の母であり秀吉の姉であった日秀尼が秀次一家の菩提を弔うために開基したものである。


▲ 本丸北東隅の石垣。隅部分は方形石材による算木積になっているが他は粗割の石垣のようだ。
 ▲ 八幡山ロープウェイ駅。駅前の道を向こう(西)へ行くと市立図書館があり、その北側に八幡公園がある。
▲ 八幡公園内の関白豊臣秀次公の銅像。

▲ 公園内を西へと行くと秀次館と家臣団の屋敷跡が並んでいた区域に出る。この石垣もその一部である。

▲ 居館区域の最高所にあった秀次館の石垣。

▲ 再びロープウェイ駅に戻り、登城開始である。もちろん麓からの登山路もあるが、時間節約のためには文明の利器を活用するほかない。

▲ 山頂駅の目の前には二の丸の石垣がそびえていた。

▲ 本丸の石垣。まずは本丸へと向かう。

▲ 本丸虎口。今では村雲御所の山門が建っている。

▲ 本丸は秀次公の菩提を弔う村雲御所瑞龍寺の境内となっている。

▲ 北の丸。

▲ 北の丸から西の湖方向の展望。左の↓は安土城跡、右の↓は観音寺城跡である。

▲ 西の丸。北の丸同様ここからの展望も素晴らしい。

▲ 出丸。ここまで来る人は稀なようで、草が生え放題であった。

▲ 再び二の丸。ここには1階が売店、2階が展望台となっており、城に関する展示物もある。

▲ 麓へ下るロープウェイから一望した八幡山城下の街並み。

----備考----
訪問年月日 2012年9月15日
主要参考資料 「日本城郭総覧」
 ↑ 「近江城郭探訪」他

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