(はちまんやまじょう)
続百名城
滋賀県近江八幡市宮内
▲ 八幡山城は近江八幡城とも呼ばれ、織田信長の築いた安土城の近くに築かれている。安土城下に
集められた職人や商人を八幡山城下に移して新たな城下町が形成され、近江商人発祥の地となった。
(写真・安土城跡から眺めた八幡山城(望遠使用)。中央最高所が本丸。)
近江商人と秀次を育んだ
近江八幡の城
天正十三年(1585)、羽柴秀吉は紀州征伐と四国平定を成功させ、朝廷に於いては関白となり、着実に天下人としての地歩を固めていた。この年、秀吉は織田信長の築いた安土城跡の西約5kmの八幡山に城を築き、甥の秀次に近江四十三万石を与えて城主とした。秀次自身は二十万石であったが付家老としてその配下に置かれた田中吉政、中村一氏(水口岡山城)、山内一豊(長浜城)、堀尾吉晴(佐和山城)、一柳直末(竹鼻城)らの所領を合わせてのことであった。 |
▲ 八幡山ロープウェイ駅。駅前の道を向こう(西)へ行くと市立図書館があり、その北側に八幡公園がある。 | ▲ 八幡公園内の関白豊臣秀次公の銅像。 |
▲ 公園内を西へと行くと秀次館と家臣団の屋敷跡が並んでいた区域に出る。この石垣もその一部である。 |
▲ 居館区域の最高所にあった秀次館の石垣。 |
▲ 再びロープウェイ駅に戻り、登城開始である。もちろん麓からの登山路もあるが、時間節約のためには文明の利器を活用するほかない。 |
▲ 山頂駅の目の前には二の丸の石垣がそびえていた。 |
▲ 本丸の石垣。まずは本丸へと向かう。 |
▲ 本丸虎口。今では村雲御所の山門が建っている。 |
▲ 本丸は秀次公の菩提を弔う村雲御所瑞龍寺の境内となっている。 |
▲ 北の丸。 |
▲ 北の丸から西の湖方向の展望。左の↓は安土城跡、右の↓は観音寺城跡である。 |
▲ 西の丸。北の丸同様ここからの展望も素晴らしい。 |
▲ 出丸。ここまで来る人は稀なようで、草が生え放題であった。 |
▲ 再び二の丸。ここには1階が売店、2階が展望台となっており、城に関する展示物もある。 |
▲ 麓へ下るロープウェイから一望した八幡山城下の街並み。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年9月15日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「近江城郭探訪」他 |