(こぜとじょう)
静岡県静岡市葵区小瀬戸
▲ 小瀬戸城は駿河南党の狩野氏によって本城である安倍城の支城として
築かれたという。戦国期には朝比奈氏が改修を加え、城として維持された。
(写真・小瀬戸城本丸と城址碑。遠方の背景は安倍城とその城砦群が築かれた山々である。)
御所を抱えた南党の山城
この小瀬戸城は駿河南党の領袖である狩野介貞長が本城である安倍城の支城のひとつとして築いたものとされている。位置は安倍城の南西4.6km、藁科川西岸にある。築城の時期は不明であるが、建武の新政(1334)が破れて後醍醐天皇が吉野に移った延元元年(1336)に武者所に詰めて京に居た狩野貞長も京を離れて駿河に戻ったものと思われ、この頃に安倍城をはじめとする城砦群が整備され、小瀬戸城も築かれたのであろうと思われる。 |
▲本丸と二の丸の間に設けられた堀切跡。 |
▲藁科川と新東名高速道路。 |
▲ 新東名をくぐると駐車スペースがある。そこから東を見ると登城口の階段が見える。 | ▲ 新東名沿いに階段を上がる。 |
▲ 新東名沿いに階段を上ると北の出丸跡の踊り場に出る。 |
▲ 北の出丸の踊り場で方向転換して階段が続く。かつての大手道だそうだ。 |
▲ 階段を上りきると二ノ丸である。半分は茶園となっている。 |
▲ 堀切を越えると本丸である。 |
▲ 本丸。 |
▲ 本丸から藁科川方面を展望。 |
▲ 「御所の谷」と呼ばれた地は新東名上りの静岡SA用地となって消滅したものと思われる。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年4月29日 |
主要参考資料 | 「静岡県古城めぐり」 |
↑ | 「静岡県の城物語」他 |