(とっとりじょう)
国指定史跡、百名城
鳥取県鳥取市東町2
▲ 鳥取城は羽柴秀吉による徹底した兵糧攻めで落城したことで
知られる。しかし、その後は因幡の府城として近世城郭に生まれ
変わった。戦国期の山城と徳川期の近世城郭とが混在する城である。
(写真・大手登城路から見た二ノ丸石垣と背後の久松山。)
兵糧攻めに屈した因幡の堅城
鳥取城の創築に関しては時期、築城者ともに不詳の状態にある。従来の説では天文十四年(1545)に山名誠通(因幡山名氏)が築いたとされていたが、現在では山名祐豊(但馬山名氏)が対立する因幡山名氏の付城として天文年間(1532-55)に築かれたとする見方もされている。言うまでもなく、この当時の鳥取城は久松山上に築かれた山城であった。 |
▲ 鳥取城は中世の山城(山上ノ丸)と山麓部の近世城郭の遺構が併存する城跡である。写真は山上ノ丸のある久松山である。 | ▲ 中ノ御門跡から見た堀と石垣。 |
▲ 中ノ御門大手口前に建つ城址碑「史跡鳥取城跡附太閤ヶ平」。太閤ヶ平は鳥取城兵糧攻めの際に秀吉が陣所とした所で、久松山の東1.4kmの山上にある。 |
▲ 大手登城路中ノ御門跡。 |
▲ 大手登城路を登りきると天球丸に出る。関ヶ原後、鳥取城主となった池田長吉の姉天球院がこの曲輪に住んだことから名付けれたという。 |
▲ 天球丸から見た鳥取市街。直下には巻石垣が見える。 |
▲ 二ノ丸枡形の石垣。 |
▲ 山上ノ丸への登り口。「くま注意」の看板があるが、登る人は多いようだ。 |
▲ 二ノ丸の三階櫓石垣。 |
▲ 表側から見た三階櫓の石垣。 |
▲ 明治維新直前に建てられたという城門。博物館側から二ノ丸への登城路にある。 |
▲ 北御門跡から見た堀と石垣。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年5月3日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「秀吉の城と戦略」他 |