(Angkor Thom)
世界遺産
カンボジア王国シェムリアップ州
▲ アンコール・トムはアンコール王朝の最盛期を築いた
ジャヤヴァルマン7世によって築かれた都城である。
(写真・遺跡の中心に建てられたバイヨン寺院)
アンコール朝最大の都城
クメール(現在のカンボジア)の歴史におけるアンコール朝は9世紀から14世紀にかけて栄えたものである。その間、26人の王の名が今のところ知られている。これらの王は父子継承で代々続いてきたものではなく、子はもとより兄弟、親戚、臣下、地方の小王までもがその実力と支持を得られれば王位継承者となりえたのである。その多くの場合は戦いを伴うものであったようだ。 |
▲ 南門の上に彫られた顔は守護者である王たちの顔と言われる。 |
▲ アンコール・トムの外側を囲む環濠。幅100mの水堀である。 |
▲ 環濠と共にアンコール・トムは高い城壁によって守られている。 |
▲ アンコール・トムの中心位置にあるバイヨン寺院。 |
▲ バイヨンの外側回廊の壁面のレリーフ。チャンパ軍と戦い、アンコールを奪還した時の戦いの様子が800年以上の時を超えて私たちの眼前で繰り広げられる。坊主頭にたすき掛けの兵士がクメール軍で、彼らの足元に倒れて今まさに討たれようとしている兜を被った兵士がチャンパ軍である。 |
▲ バイヨンの幾つもの塔に彫られた顔のひとつ。これらの顔は観世音菩薩を表すと言われているが仏陀であるとも王であるとも言われ、専門家でも意見の分かれるところだそうだ。 |
▲ バプーオン。ヒンドゥー教寺院で王宮跡の南に位置する。東側からは東塔門、中央祠堂が重なって見える。 |
▲ 像のテラス。王宮の東側に南北300m以上、高さ3mほどのテラス。側面に像のレリーフがあることから像のテラスと呼ばれる。 |
▲ 像のテラスに設けられた階段のひとつ。上り口の両側に柱が3本見える。これは像の鼻である。 |
▲ 像のテラスの上。 |
▲ 王宮跡に残る寺院遺跡ピミアナカス。ジャヤヴァルマン7世以前から存在していたと言われ、11世紀初頭の建造と見られている。王家の礼拝堂と考えられている。 |
▲ 王宮跡の池と城壁。宮殿自体は木造であったために消滅してしまった。 |
▲ 王宮への門のひとつ、北塔門。 |
▲ 像のテラスの北端にあるライ王のテラス。壁面にびっしりと神々や女神たちのレリーフが彫られている。王を荼毘に付す場所であったと見られている。 |
▲ ライ王のテラスの上面に置かれているライ王の彫像(レプリカ)。近年の調査によれば、地獄の神夜摩天であるそうだ。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年8月18日 |
主要参考資料 | 「アンコール・王たちの物語」 |
↑ | 「アンコール 遺跡を訪ねる旅」他 |