(PEARL HARBOR)
アメリカ合衆国ハワイ州ホノルル
▲ 真珠湾は1941年に編成され、現在に至るまで米海軍太平洋艦隊の根拠地
である。太平洋戦争の開戦劈頭に日本海軍の航空攻撃を受けた戦跡でもある。
(写真・太平洋歴史公園から見た真珠湾。フォード島と
アリゾナ・メモリアル、戦艦ミズーリ記念館が見える。)
ワレ奇襲二成功セリ
昭和16年(1941)12月8日午前1時30分、つまり現地ハワイ時間の7日午前6時、オアフ島北方230海里の洋上では6隻の空母(航空母艦)から飛び立った183機の大編隊が轟音を響かせて黎明の空を南下し始めた。日本海軍による真珠湾攻撃の第一派(第1次攻撃隊)である。陣容は水平爆撃隊49機(九七式艦上攻撃機)、雷撃隊40機(九七式艦上攻撃機)、降下爆撃隊51機(九九式艦上爆撃機)、制空戦闘隊43機(零式艦上戦闘機)であった。目標はオアフ島真珠湾を根拠地とする米海軍太平洋艦隊の艦船であり、目的はその撃滅である。 |
▲太平洋歴史公園から見た真珠湾とフォード島。水上の白い建物がアリゾナメモリアルで、その左に記念館となった戦艦ミズーリが繋留されている。 | ▲太平洋歴史公園内に展示されている大戦当時の潜水艦ボーフィン。 |
▲太平洋を舞台に対日戦を指揮した太平洋艦隊司令長官チェスター・ウィリアム・ニミッツ元帥の像。背後には戦艦ミズーリが記念館となって繋留されている。 |
▲戦艦ミズーリ艦上では日本の降伏文書調印式が行われた。1955年(昭和30年)に退役したが、近代化改修を経て1986年(昭和61年)に復役して湾岸戦争にも出撃している。1992年(平成4年)に再退役して真珠湾に繋留され、現在では記念館として一般に公開されている。 |
▲戦艦ミズーリの右舷後部には日本軍の特攻機が激突してできた凹み(黄色矢印)が今でも残っている。1945年(昭和20年)4月11日、沖縄海域におけるこの特攻は鹿屋基地を発進した神風特別攻撃隊第五建武隊の零戦13機によって実施され、そのうちの1機がミズーリに体当たりした。 |
▲フォード島東部地区には太平洋航空博物館があり、大戦期の実機が展示されている。外には往年の各種軍用機が並んでいた。写真は1960年代に運用されたF-104A戦闘機である。 |
▲太平洋航空博物館内にジオラマ風に展示されている零戦の残骸。この零戦は第2次攻撃隊として出撃した空母「飛龍」所属の機で、攻撃時に被弾したためにハワイ諸島西北端のニイハウ島に不時着した機体である。 |
▲アリゾナ・メモリアル。太平洋歴史公園からシャトルボートで渡る。この建物は海底に沈む戦艦アリゾナを跨ぐようにして建てられており、真珠湾攻撃によって爆沈した艦体が水面下に見えている。 |
▲アリゾナ・メモリアルの壁面には戦死した乗組員の名が刻まれている。 |
▲海面上に出ている主砲塔の跡。 |
▲海底の戦艦アリゾナからは現在でも重油が漏れ続けており、虹色の斑紋が浮かび続けている。 |
▲真珠湾東方のワイキキから見たダイヤモンドヘッド。第2次攻撃隊はダイヤモンドヘッドを眼下に見て真珠湾に殺到した。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年9月27日 |
主要参考資料 | 「真珠湾攻撃」淵田美津雄 |
↑ | 「歴史群像太平洋戦史シリーズ1」・他 |