(おしじょう)
県指定旧跡、百名城
埼玉県行田市本丸
▲ 忍城は豊臣秀吉の小田原征伐時、関東の諸城が後北条氏の本城
である小田原城落城以前にそのことごとくが落城したなかにあって
唯一、本城に先立つことなく最後まで頑強に抵抗した城として知られる。
(写真・行田市郷土博物館の一部として復興された御三階櫓)
忍城、落城せず
関東七名城に数えられる忍城は「忍の浮城」とも称されるように利根川と荒川に挟まれた湿地帯に築かれた城である。築城の時期は文明十一年(1479)頃とされ、成田顕泰の築城によるとされている。 |
▲行田市郷土博物館の南側に残る忍城唯一の遺構、本丸の土塁である。 |
▲鐘楼。本来は二の丸にあって時を告げていた。文政六年(1823)、伊勢桑名から忍に転封となった松平忠堯が桑名から持ってきた鐘である。本物は博物館内に展示されている。 |
▲博物館駐車場脇に建つ「忍城御本丸跡」の碑。 |
▲高麗門。忍城の移築門と言われるが、どこの門かは不明。 |
▲行田市郷土博物館。ここはかつての本丸にあたる。 |
▲東門前の城址碑。 |
▲御三階櫓と東門、あずま橋。御三階櫓は元禄十五年(1702)、藩主阿部正武の時に三の丸のさらに外側の郭に建てられ、天守に代わる建造物となった。現在の御三階櫓は昭和63年(1988)に本丸跡に再建されたものである。 |
▲本丸跡に復元された鐘楼。 |
▲博物館から本丸土塁跡へ向かう途中に移築・復元された門がある。藩校「進修館」の表門であったと伝えられて。 |
▲忍城には元禄十五年(1702)に三階櫓1棟、二階櫓2棟が建てられ、明治六年(1873)に解体された。塀の前に置かれた石はその櫓の石垣に使用されたもの。 |
▲石田堤史跡公園。忍城水攻めのために石田三成の築いた堤が百数十メートルほど残っている。 |
▲石田堤。駐車場から上越新幹線高架までの約100mほどの堤が残っている。 |
▲石田堤史跡公園のシンボルモニュメント。上越新幹線の高架下を利用して説明板や絵図などが展示されている。 |
▲シンボルモニュメント周辺は公園として整備され、このような堤の断面を見学できるようになっている。 |
▲高架下に展示されている忍城水攻めの図。 |
▲同じく堤の上から水攻めを指揮する石田三成の図。 |
▲同じく堤決壊の図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年5月5日 |
主要参考資料 | 「関東の名城を歩く・南関東編」 |
↑ | 「水の城 いまだ落城せず」 |
↑ | 「のぼうの城」他 |