(さなだあん)
県指定史跡(真田屋敷跡)
和歌山県伊都郡九度山町九度山
▲真田庵は関ケ原の戦いの後真田昌幸、信繁(幸村)父子らが
配所として屋敷を構えたところである。配流十一年後、昌幸はここ
で没した。その三年後、信繁は豊臣に請われて大坂城に入城した。
(写真・真田昌幸墓地と真田地主大権現。)
炬燵して語れ真田が冬の陣
慶長五年(1600)、下野国犬伏(栃木県佐野市)で上杉討伐の陣中にあった真田昌幸は長男信幸を徳川方に残し、次男信繁(幸村)と共に石田三成の挙兵に応じて上田城に籠った。上田城には徳川秀忠の大軍が押し寄せたが、昌幸、信繁らは奮戦して徳川勢に大きな損害を与えた。このために秀忠軍は関ケ原の本戦に間に合わなかったとも言われている。 |
▲丹生川沿いの県道13号。「真田庵」の案内標識がある。 |
▲案内標識から路地に入るが車では無理である。県道沿いの町の駐車場から徒歩で向かう。 |
▲白い塀の中が真田庵である。 |
▲門を入るとすぐ左に「真田幸村公旧跡」の碑がある。 |
▲玉垣は真田昌幸の墓と真田地主大権現の社を囲んでいる。 |
▲真田昌幸の墓地は九度山町指定文化財となっている。 |
▲真田地主大権現。真田昌幸、幸村、大助の三代の御霊を地主大権現として祀ったもので寺の守護神とした(パンフより)。 |
▲中央の墓塔が真田昌幸公の墓である。 |
▲善名称院。広縁にはおみくじ箱が並んでいた。 |
▲宝物資料館。 |
▲「真田父子四百回忌碑」。右の石碑には「かくれ住んで花に真田が謡かな」と蕪村の句が彫られている。他に「炬燵して語れ真田が冬の陣」の蕪村の句碑もある。 |
▲県指定文化財真田屋敷跡の説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2016年2月6日 |
主要参考資料 | 「別冊歴史読本-戦国・江戸 真田一族」 |
〃 | 「武将列伝 5」他 |