(やぎゅうこじょう)
奈良県奈良市柳生下町
▲柳生古城は柳生の里北側の古城山の尾根上に築かれた山城である。伝承によれば
元弘の乱(1331)の折に柳生永珍が宮方に参じてここに陣取ったと言われている。
(写真・主郭北端の土塁跡と剣塚の碑。)
宮方に応じた柳生氏の山砦
柳生といえば剣豪柳生石舟斎や徳川将軍家指南役となった但馬守宗矩あるいはその子十兵衛の名がすぐに思い浮かぶのは私だけではあるまい。しかし、それ以前の柳生氏の事となると、あまり知られて無いのではないだろうか。たしかに柳生氏の姿が具体的に見えてくるのは石舟斎が生まれた大永の頃(1521-28)からである。いわゆる戦国時代になってからである。それ以前の柳生氏の事績についてはほとんど伝えられていない。しかし、ただ一度だけ歴史の舞台に名を上げたことがあった。 |
▲県道4号線の「柳生」バス停のところに鉄製の階段がある。ここが登山口・登城口となる。 | ▲尾根道をしばらく登ると左側に最初の堀切跡が現れる。 |
▲最初の堀切跡。この堀切は登山路の反対側でL字形に折れている。 |
▲二つ目の堀切跡。主郭南側の堀切である。 |
▲主郭南側には一段下がった曲輪が設けられている。 |
▲城跡のある古城山。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年5月3日 |
主要参考資料 | 「別冊歴史読本・柳生一族」他 |