(まゆみやまじょう)
▲ 真弓山城は城跡公園・足助城として曲輪や建物などが復元整備され、戦国期山城の様相を
再現している。発掘調査により、戦国期に足助鈴木氏が本拠とした城跡であると見られている。
(写真・本丸に復元された高櫓と長屋。)
足助鈴木氏を支えた山城
一般的に足助城というとこの真弓山の城のことを指している。 |
大軍に囲まれる度に鈴木氏は降伏を繰り返しながら存続を図ってきているが、その背景には堅城と化した真弓山城の存在があったからではないだろうか。攻める側にとっても無理攻めを避け、無為に血を流すことなく相手が降ってくれればそれに越したことはないのである。 |
▲公園入口から歩いて行くとまずこの光景を目にする。角ばった法面の上は南の丸である。 |
この年、浜松城の家康は直ちに失地回復の行動を起こし、岡崎城の嫡子信康に足助の奪回を命じたのである。 |
▲城跡公園・足助城の駐車場。 | ▲順路に沿って行くと南の丸腰曲輪を経、この坂を登って西の丸に至る。建物は西物見台である。 |
▲細長の西の丸。 |
▲南の丸の復元された建物。 |
▲南物見台。 |
▲本丸高櫓と長屋(手前)。 |
▲高櫓からのながめ。 |
▲真弓山城墟碑。当初、足助氏の本城は真弓山と思われており、笠置山に馳せ参じた足助氏を称えたこの碑が本丸に建てられていた。現在は公園入口近くに移されている。 |
▲公園入口に掲示されていた鳥瞰図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年7月20日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」他 |