向笠城砦
(むかさじょうとりで)

磐田市向笠西


▲向笠城砦は戦国期に土豪向笠氏が居城の出城として築いたものとされる。
(写真・向笠史談会によって立てられた標柱)

白壁の砦

磐田原台地の西端を降りた敷地川河畔の向笠地区に戦国期の土豪向笠氏の居城である向笠城址があり、その1.2kmほど南の台地上に向笠城砦があったとされる。

現在、砦跡は禅刹法雲寺の境内となっている。法雲寺がここに開創されたのは寛永十一年(1634)というから、戦国の世が終わって泰平の時代になった頃である。この法雲寺の建立から六十年ほど前の戦国争乱の時代、向笠氏が出城としてここに砦を築いていた。

居城の向笠城は東海道筋から離れていたため、侵入者をいち早く察知するために街道に近い当地に砦を築いたものであろう。とはいえ、遺構もなにもない。古老の口碑として伝えられてきたもののようで、砦の白壁が小笠山(掛川市/標高265m)から望めたと言われている。戦国当時、いち土豪が白壁の城壁を巡らしていたというのもあまり信じられないが、古くからの言い伝えとしては大事にしたいものである。

ともあれ、向笠城は元亀四年(1573)に徳川勢の攻撃で落城、向笠氏は小田原の後北条氏のもとに身を寄せたとされ、この砦もこの戦いの中で廃墟となったものと思われる。


▲法雲寺駐車場前に立てられた標柱。

▲八幡山法雲寺。

▲法雲寺の山門。

▲法雲寺の境内。

----備考---- 
訪問年月日 2025年10月28日
 主要参考資料 「向笠城物語」他

トップページへ遠江国史跡一覧へ