仲明城
(なかみょうじょう)

               磐田市敷地        


▲仲明城は創築時期、城主ともに不明の城であるが、城としての遺構は存在する謎の城跡である。
(写真・中央正面の山林が城址である)

忘れられた城跡

元亀三年(1572)十月、武田信玄は二俣城の攻略を継嗣勝頼に任せ、天竜川東岸の合代島に本陣を構えた。現在ではこの合代島の本陣となった陣城は亀井戸城ではなかったかと見られている。そしてここ仲明城は亀井戸城の東約2kmに位置することから、信玄本陣の後方を警戒するために兵が配されたと言われる。

しかしながら、この城の創築および城主に関しては一切不明なのである。城跡には曲輪、堀切、土塁等が遺存しており、武田勢による修築があったものとも思われるがその実態は分からない。

城館資料には城跡の南郭に石碑が一基残されており、「自今四十代前乗松義光當時城主敷地左衛門尉戦火之悲ミヲ悼ミ横死者一切之霊ヲ供養スル為ニ建之、昭和五年七月、乗松信太郎」と記されているらしい。乗松氏の四十代前の時代とあるがいつ頃のことであろうか。その当時、敷地左衛門尉が城主のとき戦いがあり、その死者を供養するために石碑を建てたのだという。ただ、それを裏付ける史料はないらしい。

仲明城はかつての敷地村にある。敷地左衛門尉は在地の土豪であろうか。戦乱の時代にあって左衛門尉はこの高台に砦を築き、村人を結集して外敵に備えたのであろうか。しかし奮闘も空しく、押し寄せる勢力にあえなく滅ぼされてしまい、歴史にも残されることなく葬り去られてしまったのかもしれない。


▲城址西側を流れる敷地川。天然の堀をなしている。

▲城址西端の様子。断崖となっている。

▲城址南側の山林。

▲城址山林は放置状態か。

▲南側遠景。
----備考---- 
訪問年月日 2023年1月21日 
 主要参考資料 「静岡県の中世城館跡」他

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