二俣城
(ふたまたじょう)

国指定史跡

                浜松市天竜区二俣町二俣        


▲ 城址本丸跡に残る野面積の天守台。

遠江、要の城

 遠州平野はここ二俣の地を北限として南に扇を開くようにして展開している。そして、北を向くと重畳たる山塊が果てしなく広がっている。まさに扇の要というに値するところである。

 ただし、古記録に登場する二俣城は当所を指すものではないようである。それは笹岡城を初期のものとし、享禄年間(1530前後)の今川家臣松井貞宗の赴任によって当所への築城整備が進められたもののようである。

 松井貞宗は永禄二年(1559)に子の宗信に家督を譲ったが、宗信は翌年の桶狭間合戦で今川軍に従軍して討死、その子宗恒が継いでいる。

 永禄十一年、徳川家康の遠江進攻に際しては簡単に降り、今川旧臣の鵜殿氏長が徳川方の武将として入城した。

 元亀三年(1572)、北遠が武田方の勢力圏となり、さらに南信方面からの武田勢南下に備えて家康は中根正照を城主とし、青木貞治、松平康安らを部将として配した。

 同年十月下旬、武田信玄率いる大軍が青崩峠を越えて二俣城へと殺到してきた。

 二俣城の攻略には当初、武田勝頼を大将とする三千の軍勢があたった。

 十一月に入ると信玄の本軍二万余と三河路から南下した山県昌景率いる五千の軍勢が二俣城周辺に集結した。

 血気盛んな勝頼は紺地に金泥で法華経を印した母衣をつけて陣頭に立ち、壮絶な力攻めを繰り返した。それでも天険の要害二俣城は容易に落ちず、名ある家臣小宮山昌友らの討死が相次いだ。

 重臣馬場信春、山県昌景らは、
「無理攻めは叶い難し、まずは水の手を断つべし」
 と進言した。そこで攻城軍は城の給水源となっている天竜川に突き出た井戸櫓を破壊することになった。方法は大木の筏を組み、上流から流し当てるのである。これを執拗に繰り返した結果、ついに櫓を破壊することに成功したのであった。

 水の手を断たれた二俣城はそれから一月余り持ちこたえたが、十二月十九日ついに開城、城将中根正照らは浜松城へ退去した。

 中根、青木の両将は三日後の三方原の合戦で奮戦、討死を遂げた。二人の墓は二俣城近くの清瀧寺にある。

 信玄は依田下野守信守を二俣城主とし、自らは全軍を率いて三方原へと駒を進めた。十二月二十二日のことである。そして三方原の台地で徳川家康を撃ち破った信玄は深追いすることなく浜名湖北岸で越年した後、三河へと向った。

 その後は三河野田城を落としはしたものの、武田軍は信濃路をとって甲州へ引き上げた。なんと信玄が亡くなったのである。

 天正三年(1575)五月、三河長篠における武田軍の大敗はその後の武田の衰退に拍車をかけることとなった。

 六月二日、長篠合戦の大勝利の後、家康は直ちに二俣城奪還のための行動を起こした。大久保忠世を二俣城奪還の大将にして鳥羽山城に本陣を置いた。家康は力攻めをやめ、二俣城周辺の要所に砦を築いて兵糧攻めの体勢をとった。毘沙門堂砦に本多忠勝、和田島砦に榊原康政、蜷原砦に大久保忠佐を配した。

 城主依田信守はこのとき病臥中で、子の右衛門信蕃、その弟源八郎信幸、兵九郎信慶らがよく城を守った。十九日、信守病没、信蕃が城主となり、兄弟力を合わせて持久戦に耐えた。

 しかし兵糧も底を尽いてしまい、十二月二十三日ついに開城して高天神城へ退去することになった。

 開城の日、城内を清掃して兵を整え、粛々と城門を出て行ったという。

 依田信蕃はその後、田中城主として再び家康と戦うが、開城を余儀なくされて徳川に降り、二俣山中の小川の里に蟄居となった。その後、家康に仕えることになったが、天正十一年二月の信州岩尾城攻めの先陣をつとめた。しかしこの戦いで信蕃と兄弟ら三人はともに鉄砲に撃たれて討死を遂げた。信蕃三十六歳であった。

 家康は新たな城主として大久保七郎右衛門忠世を置いた。

 天正七年(1579)、家康の嫡男信康が信長に謀反の疑いをかけられ、この城で自害して果てた(清瀧寺)。

 天正十八年、家康の関東移封に伴って忠世は小田原へ移り、二俣城には豊臣系の堀尾氏が入城した。そして慶長五年(1600)関ヶ原合戦の年、廃城となった。


本丸北門の喰違い虎口。市街地西側の丘陵を蜷原台地ということから別名蜷原城ともいう。

▲第24回国民文化祭しずおか2009の城跡フェスティバルで天守台上に再現された「二俣一夜城」。一週間限定で展示された。

▲ 本丸天守台。

▲ 本丸から天竜川を望見。

▲ 大手門。ここを入ると二の丸である。

▲ 二の丸の南、蔵屋敷との間の堀切。

▲二代目物見の松。

▲ 城址駐車場前の本丸北門へ通ずる歩道脇に建つ「史跡二俣城址」の碑。
----備考----
訪問年月日 2004年4月3日
再訪年月日 2009年11月1日
主要参考資料 「日本城郭全集」他