高山城
(たかやまじょう)

                    掛川市原里          


▲高山城は杜山城とも呼ばれ、原野谷に繁栄した国人原氏に
関連する城館跡と見られているが、その詳細は不明である。
(写真・高台の主郭部に建つ小学校校舎)

原氏一族の城    

平安末期から戦国期に至り、原野谷川流域一帯に繁栄した原氏であったが、ここ高山城もその原氏に関連する城跡と見られている。築城時期や築城者については明確ではないが、原氏中興の祖とされる十二代頼景の子、頼方の系図に原田住とあることから、この系統の一族が居城としていた城館であると見られている。

原遠江守頼景(本郷城)は応仁の乱(1467)時、東軍細川方の今川義忠の先陣として上洛、戦功を上げた。その後も将軍義尚の六角氏征伐にも参陣しており、その戦功を賞されて従五位下に補されて加増されている。南北朝期にその勢力を減退させ、領内も荒廃の極にあった原氏であったが(高藤城)、この頼景の活躍によって原氏は復興したといえる。

この高山城も頼景による所領拡大の時期に整備された一族の城館と見ることもできようか。

現在、城址には原田小学校が建ち、その遺構は消滅しているものと思われる。資料の見取図から小学校の校庭が下の段であり、居館部であると思われ、校舎の建つ部分が上の段で主郭部と見られている。



▲西側から見た城址。道路の先、坂を上がった所が小学校の校門である。

▲主郭部に建つ小学校の校舎群。
----備考----
訪問年月日 2020年8月12日
主要参考資料 「静岡県の中世城館跡」
「掛川の古城址」他

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