若身城山
(わかみじょうやま)

             浜松市天竜区春野町堀之内         


▲ 若身城山は犬居城の死角を補う狼煙台または物見台であったと
言われ、国人天野氏の軍事施設であったと考えられている。

犬居城の外郭

 戦国期の国人天野氏の領域は気田川とその支流域に広がる山岳地帯(浜松市天竜区春野町)である。要所には支城が築かれ、本城である犬居城との連絡には狼煙が活用されたことは言うまでもない。
 犬居城は領域内の南西端近くにある。そのため北側と東側には犬居城より標高の高い山並みが限りなく広がっている。したがって犬居城の視界範囲には限界があり、その欠点を補うために設けられたのがこの若身城山であると見られている。つまり物見の砦であり狼煙台である。
 さらにこの城山は秋葉道または塩の道と呼ばれる古道を押える位置にもあり、犬居城の外郭としての機能も果たしていたものと思われる。
 天正四年(1576)、天野氏は徳川家康による二度目の攻撃を受けた。この戦いで徳川勢は付城を築いて犬居城に迫ったものと見られ、堀之内城山がそれであったと言われている。ここ若身城山の南東わずか400mほどのところである。堀之内城山が徳川勢によって築かれたとするならば当然、徳川勢はここ若身城山も占拠してしまったはずである。
 若身城山と犬居城の高さは同程度(標高290m)なのだが、実際に城山から犬居城を眺めると見下ろしているように感じられる。戦国当時はここから犬居城内の様子が丸見えであったはずだ。この城山を徳川勢に取られてしまったとするならば、犬居城の天野氏は生きた心地がしなかったであろう。
 結局、天野氏は犬居城を捨てて気田川上流の勝坂城に落ち、さらに武田氏を頼って信州から甲州へと落ちて行った。
 現在の若身城山の跡にはNHKの中継施設が建設されている。そのためか、地形の改変が著しいらしく、遺構らしきものは見られない。主郭部と思われる山頂部は削平されているが、これは電波塔設置の際に削られたものであろう。

▲ 若身城山からの展望。眼下に春野町堀之内の街並みが広がり、その北側(右)の山上に犬居城がある。

▲ 林道は城山の東から南側へと廻っている。

▲ 城域内に建てられたNHKの中継施設。

▲ 山頂の主郭部分と思われる所には電波塔が建っている。

▲ 犬居城(凸)が見下ろすように見える。

▲ 林道から見た若身城山。

▲ 春野ふれあい公園前から見た若身城山(↓のところ)。
----備考---- 
訪問年月日 2011年12月18日 
 主要参考資料 「静岡県の中世城館跡」
 ↑ 「春野町史」 

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