市野砦
(いちのとりで)

      浜松市東区市野町     


▲市野砦は街道の要所にあることから遠江平定を進める今川勢が布陣したことで知られる。
(写真・浜松市の説明板)

今川氏の遠江平定

浜松市東区市野町の北東部に禅刹宗安寺がある。この地域を領していた市野氏の菩提寺であるが、この寺の南側がかつて戦国時代に今川勢が陣したとされる市野砦の跡となっている。正確な場所は分からないらしいが浜松市ではここに説明板を立て、市の歴史遺産として紹介している。

永正九年(1512)、引馬城の大河内備中守貞綱は尾張と遠江の二ヵ国の守護である斯波義達と結んで遠江に勢力を拡張しようとする今川氏親に反旗を翻して対抗していた。その後、遠江西部は戦乱状態が続き、永正十一年(1514)には今川氏親みずから三万の軍勢を率いて出陣、遠江に進軍した。

この時、氏親は楞厳寺(りょうごんじ)に布陣したと記されている。市の説明板によればこの楞厳寺は宗安寺の南ににあった寺院で、現在は廃寺となって工場、宅地となっているとある。つまり、楞厳寺の陣場を市野砦としているようである。

一方の斯波義達は井伊直平ら信濃、三河、尾張の兵と共に三嶽城に布陣した。「宗長手記」に「毎夜の篝火暁の星のごとし」とあるように義達もかなりの大軍を結集したようである。

市野砦を経由した今川勢は大菩薩山(欠下城)から三方原台地へ出た。そして今川家臣朝比奈泰以の軍勢が三嶽城へ向かい、易々とこの城を攻め落としたと言われている。

今川氏と斯波氏の争いは永正十四年(1517)の引馬城の落城まで続いた。引馬城を失った斯波義達は今川氏親によって尾張へ追放され、遠江は完全に今川氏の支配下に置かれた。

市野砦はこうした度重なる今川勢の遠江西部への進出に際して街道(後の姫街道)の要所にあることから幾度となく軍勢の中継点となったものと思われる。


▲説明板。

▲関係城館の位置。矢印と城砦名は管理人の加筆。

▲遺構は何もない。

▲道路の北側(左側)は宗安寺である。



----備考---- 
訪問年月日 2023年7月6日 
 主要参考資料 現地説明板・他

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