志都呂陣屋
(しとろじんや)

                    浜松市西区志都呂町           


▲志都呂陣屋は旗本の五井松平氏が江戸期に遠江国へ采地替えとなり、
陣屋を構えたことにはじまる。五井松平氏は当地で代々続いて明治に至った。
(写真・陣屋跡の石垣の一部と思われる)

旗本五井松平氏の陣屋    

 五井松平氏を興した元芳(忠景)は松平宗家三代信光の七男である。信光の勢力拡張により、元芳が五井(蒲郡市)の地を奪取して城館(五井城)を構えたことにはじまる。

その後、五代景忠まで五井を居城として松平宗家の長親、広忠、家康に仕え、戦場を共にして活躍した。六代伊昌の時に天正十八年の関東移封があり、これに従って五井を去った。下総国銚子飯沼二千石を拝領。七代忠実の時に下総国海上郡に加増転封となり六千石を賜る。

元禄十一年(1698)三月、十代半右衛門忠明(ただあきら)が遠江国敷智郡内(六千二百二十九石)に移封となり志都呂に陣屋を構え、七代続いて明治に至った。忠明は今切関所の奉行を元禄八年(1695)から九年まで勤めており、その関係で采地替えとなったのかも知れない。幕末時には二十三ヶ村(志都呂、大人見、新所、古見、鷲津、下都田、上都田、小林、木舟、木舟新田、打上、寺嶋、寺嶋新田、上石田、笠井新田、貴平、前野、草崎、大当所、家田、岩村、片瀬、大平)が五井松平氏の所領となっていたという。

陣屋の南に浜名湖に注ぐ新川が流れている。現在はここに志都呂橋が架かっているが元は築出橋という橋が架かっていた。この橋は志都呂陣屋の松平氏が東海道へ出るのに不便であったから架けたのだと伝えられている。



▲陣屋跡地は現在幼稚園の敷地となっている。石垣は陣屋の石垣の一部であろう。

▲幼稚園入口前に立つ史跡標柱。

▲陣屋跡から南方を見る。当地が高台にあることが分かる。

▲志都呂陣屋の松平氏が架橋した築出橋も現在は志都呂橋となっているる。

▲志都呂橋の架かる新川。浜名湖へと流れている。

----備考----
訪問年月日 2020年8月1日
主要参考資料 「浜松市史」他

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