小里城
(おりじょう)

県指定史跡

            岐阜県瑞浪市稲津町小里    


▲小里城は土岐氏一族の小里氏が戦国期に築いた山城である。武田、織田、
徳川とその帰属を変転したが、江戸初期に嗣子無く断家となり廃城となった。
(写真・山頂本丸の天守台石垣。)

東濃の最前線、小里氏累代の山城

 鎌倉後期、土岐氏一族の土岐太郎国定が小里に土着して小里氏の祖となり、正中の変(1324)に参陣して討死したと伝えられている。室町期には頼幸、兵庫助、康氏、能登守、次郎といった名が諸書に登場するがその詳細は分からないようである。

 小里氏の活躍が見えてくるのは戦国期に入ってからで、天文元年(1532)に小里光忠(22歳)が小里を居所として築城(天文三年とも)したとされている。

 戦国の荒波は東濃地域にも押し寄せ、弘治元年(1555)頃には信濃下伊那を攻略した武田勢が土岐郡に侵入したため光忠、光次父子は武田の傘下に入った。その後、永禄八年(1565)頃には織田信長による東濃地域の調略が活発となり、光忠らは織田方に属することになる。

 永禄十年(1567)、信長は稲葉山城(岐阜城)を落として美濃を平定したが、武田との衝突は避け難い状況となる。元亀三年(1572)には武田信玄が秋山信友に岩村城を攻略させた。

 武田勢の進出に危機感を抱いた明知城苗木城の遠山氏は諸氏を糾合して岩村城奪還の行動に出た。上村合戦がそれで、小里光忠・光次父子もこの戦いに参戦した。しかし、戦いは完敗で遠山氏と共に光忠、光次父子も討死してしまった。小里の家督は光次の子光久(11歳)が継いだとされる。

 天正二年(1574)信玄亡き後を継いだ武田勝頼が東濃へ進攻、明知城を攻めた。信長も信忠を大将として明知城救援の軍勢を出したが、目的を果たすことができずに落城してしまった。この際に小里城が前線拠点となり、改修工事が施されたものと見られている。そして池田恒興が小里城の番手となったという。

 天正三年(1575)の長篠合戦で武田勝頼を大敗させた信長は直ちに東濃へ兵を進め、岩村城を奪還した。この出陣で大将の信忠は小里城を本陣としたと言われている。

 天正十年(1582)、本能寺の変。小里光久は信忠に従っていたために二条城で討死してしまい、叔父の光明が当主となった。

 変後、森長可による東濃攻略が進み、織田信孝方であった小里光明は森勢と交戦の後に城を捨て去ることになってしまう。光明は徳川家康を頼って三河国足助(真弓山城)の鈴木氏の元に身を寄せた。

 天正十八年(1590)の家康関東移封の際には光明は子の光親を伴って関東へ移り、翌年には旗本として相模国東郡岡田に三百石を与えられた。

 城を去ってから十七年、転機がが訪れる。関ケ原合戦(1600)である。本戦に先立ち、家康は森長可によって東濃を追われた遠山友政(苗木城)、遠山利景(明知城)そして小里光明・光親らに旧領奪還を命じたのである。九月二日に明知城、三日には小里城が奪還され、さらに岩村城を開城させた。

 戦後、小里氏は旧領三千五百八十石を回復して小里城を居城とすることが許された。当主となった光親は北山麓部に居館・陣屋(御殿場)を建設して近世城郭化を施した。

 その後、光親は大身(上級)旗本として大坂冬・夏の陣に参陣、元和七年(1621)に没した。

 家督は嫡男光重が継いだが元和九年(1623)に若くして(20歳)亡くなった。嗣子が無かったため、家臣らは弟の政衆(まさかず)の継承を幕府に嘆願したが叶わず、断家が命じられた。小里城奪還からわずか二十年余りで城は廃城となり、領地は天領となってしまった。


御殿場の大手門跡。

▲天守台内側と城山神社。

▲城址入口。

▲城址入口前の道路をはさんで城址駐車場がある。

▲入口から森の中に進むとすぐに石垣が現れる。

▲石垣の上は御殿場と呼ばれる削平地となっている。御殿、すなわち城主の居館・陣屋の建物が置かれたところであるる

▲御殿場の曲輪は三段ある。

▲御殿場に立つ縄張図。山頂本丸までの経路が描かれている。

▲「小里氏御殿場跡」の碑。

▲城址入口と山頂本丸の中間点にある大岩。

▲登山開始から20分ほどで山城部分の入口である大手曲輪に到着。

▲大手曲輪からは急傾斜の登山となり、ロープが張られている。

▲本丸手前の二の曲輪。

▲二の曲輪から本丸へ。大きな石が多い。

▲前方に本丸の石垣が現れる。

▲山頂本丸に到着。天守台の石垣が目を引く。

▲本丸に設けられた休憩所。ここまで約30分かかった。健脚の方なら20分くらいだろうか。

▲天守台前を散策。

▲苔むす天守台石垣。

▲天守台入口。

▲天守台内側。小里城山神社が鎮座する。

▲天守台前に建つ城址碑。

▲本丸から展望。眼下の街並みは稲津町。
----備考----
訪問年月日 2016年11月12日
主要参考資料 日本城郭総覧」
「小里城跡(現地パンフ)」他

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