(がんりゃくじじょう)
市指定史跡
豊川市長沢町御城山
▲ 岩略寺城は築城者・築城時期ともに不詳とされる山城であるが、戦国期の
今川氏、徳川氏によって普請・強化された可能性が高いと思われる。また、
近世の改修を受けていないため、中世山城の遺構を良好に残しているとされる。
(写真・本曲輪北側法面下に設けられた三日月堀。)
東三河の前衛
岩略寺城と長沢城(長沢古城)は至近の位置にあり諸記録にいう長沢城とはこのどちらを指しているのか明らかにはなっていない。岩略寺城は長沢山城とも呼ばれるように戦時の長沢城と捉えることもでき、古城の方を平時の長沢城と見ることが出来るかも知れない。 |
▲ 本曲輪北西隅の虎口。 |
▲ 城山林道の途中にある看板。中世山城の本県最大の遺構とある。 | ▲ 林道の終点。ここは本曲輪のすぐ近くで、駐車空間も確保されている。登山の苦手な人でも楽に見学できる。 |
▲ 案内標識も各所に立てられている。 |
▲ 本曲輪北西虎口には井戸跡が残る。 |
▲ 岩略寺城は井戸の多い山城としても知られる。確認される井戸は5か所に及ぶ。 |
▲ 本曲輪跡。土塁で囲まれた方形の曲輪である。 |
▲ 本曲輪の土塁。 |
▲ 本曲輪北側法面下には珍しい三日月形をした堀がある。法面下を掘ることで法面自体の高さを増幅させることが目的であったと見られれている。 |
▲ 駐車空間に立てられている縄張図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年10月20日 |
主要参考資料 | 「史跡 岩略寺城」 |
↑ | 「戦国の城」他 |