(ながさわじょう)
豊川市長沢町古城
▲ 長沢城は長沢松平氏の本拠地となった城である。かつては
東海道を見下ろす位置にあり、現在も国道、鉄道高速道路が城址
を貫通している。古今を通じて交通の要衝であることに変わりはない。
(写真・国道一号線沿いの字古城に残る井戸跡。)
長沢松平氏の古城跡
松平氏は三代信光の時に岩津城を拠点として三河国内に大きく飛躍、勢力を広げた。信光は二十七人の男子を儲けたと伝えられ、手に入れたそれぞれの地を与えて分立させた。竹谷、形原、大草、能見、五井、深溝、長沢の諸家がそうである。この中の長沢松平家の拠ったのがここ長沢城なのである。 |
▲ 観音堂。便宜的に観音堂城と呼ばれているが、これは初代親則が築城の際に城内に御堂を建てたとされるもので、祀られた観音像は「古城観音」と呼ばれて大切にされている。したがってこの観音堂の建つ場所も長沢城の一部ということになる。九代康直が武蔵深谷に移る際に家臣近藤新十郎に古城観音の管理を委ねたと言われている。 |
▲ 長沢小学校の南側道路沿いに城址説明板が立っている。 | ▲ その説明板にある縄張図。南側には三重の堀が描かれている。 |
▲ 小学校に隣接する長沢保育園の東隣に観音堂がある。これはその入口の階段。 |
▲ 観音堂から国道一号を挟んだ向かい側には井戸跡がコンクリで保護されている。 |
▲ 井戸跡から国道一号越しに観音堂(中央街灯の向こう)の森を見る。 |
▲ 国道一号の北側、字古城と呼ばれる地域は高台になっており、城跡であったことを偲ばせるが、現状は宅地化され、その一画に城址碑が建つのみである。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年10月20日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
↑ | 「松平の族葉 十四松平」他 |