刑部砦
(おさかべとりで)

浜松市浜名区細江町中川


▲刑部砦は武田信玄が三方原合戦後に宿陣して越年した陣城とされている。
(写真・姫街道沿いに建つ史跡碑)

信玄の宿営地か

県道261号、通称姫街道を北上して浜名区細江町に入るとやがて下り坂となって都田川流域の低地に至る。この下り坂は三方原台地からの坂で、下る手前に老ヶ谷口のバス停がある。そこから150mほど気賀方面へ進んだところの右側に「史蹟」と彫られた石碑が建っている。

この石碑の裏には漢文で武田信玄が三方原合戦で徳川家康を大いに破った後にこの地付近に兵馬を養い、十五日間駐軍した後に東三河へ向かったことなどが記されている。この石碑は大正十三年(1924)に皇太子殿下(昭和天皇)御成婚記念として建てられ、碑文は当時の中川村村長の撰したものである。

元亀三年(1572)十二月二十二日、三方原台地北西部で武田信玄は徳川家康の軍勢を散々に打ち破り、浜松城近くにまで追い詰めた。

そして二十四日に刑部の内前山へ引き取ったと「浜松御在城記」にある。合戦後の武田勢の動きは諸記録によってさまざまであるが、概ね三万にも及ぶ武田勢は刑部、気賀、井伊谷などに展開宿陣して越年したと見るのが通説となっているようだ。さらに同記は「前山」と「陣平」に陣城を構え、前者を小陣屋とし後者を大陣屋と記している。これらの陣城を総じて刑部砦または刑部陣平と呼んでいる。

小陣屋の構築された「前山」は石碑の建つ辺り(東側か)であり、大陣屋の築かれた「陣平」は石碑から北側300mほどの所で茶畑や果樹園となっている。いずれも遺構は残っていないとされる。

「引佐郡誌」には「古陣地」として陣平(大陣屋)の陣跡のことが記されており、ここに信玄が陣して越年した後に三州野田城へ向かったとしている。信玄の宿営地には諸説あるが、「陣平」であった可能性も考えられよう。


▲前山の「史蹟」碑。

▲石碑の裏には武田信玄がここに駐軍したことなどが記されている。

▲石碑から北約300mの陣平。ここに大陣屋が設けられたという。

▲台地を下った北側の平地から陣平(黄↓)を見る。

----備考---- 
訪問年月日 2025年1月9日
 主要参考資料 「静岡県の城跡」
「細江町史」他

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