(はなぐらじょう)
静岡県藤枝市花倉
▲ 花倉城はかつての葉梨郷にあることから葉梨城とも呼ばれる。南朝勢力に対抗する
今川氏がここを本拠地として城下集落をも形成したものと言われるが、詳細は分らない。
(写真・登城口から見た花倉城)
戦国非情、花倉の乱
花倉の乱は戦国大名今川義元が家督継承の際に起きた兄弟間の抗争であり、その舞台となったのがこの花倉城である。 |
▲本丸。 |
▲二の丸。 |
▲ 農道の終点。登城口である。駐車スペースは2〜3台分程度である。 | ▲ 駐車位置(登城口)から進むとすぐに土橋である。 |
▲ 道なりに登り続けると本丸と二の丸の間の空堀が現れる。左が二の丸である。 |
▲ 二の丸東縁の土塁跡。現状はわずかな高まり残している。 |
▲ 本丸の北端は一段高くなっており、物見台跡とされている。 |
▲ 本丸から空堀越しに二の丸を見る。 |
▲ 二の丸南の空堀。 |
▲ 二の丸から南を展望。 |
▲ 農道終点の登城口に立てられた説明板の遺構略図。 |
----備考---- | |
---|---|
訪問年月日 | 2012年3月18日 |
主要参考資料 | 「静岡県古城めぐり」 |
↑ | 「駿河今川一族」他 |