(もりやまじょう)
静岡県伊豆の国市寺家
▲ 守山城は堀越御所の詰城であったと言われているが、残されている堀切な
どの遺構は天正(1573-92)末期のものと見られている。(写真・守山城主郭)
公方の詰城
長禄二年(1458)に鎌倉公方として関東へ向かった足利政知が鎌倉入りを果たせず、伊豆の堀越に御所(堀越御所)を営んだ。このため政知は堀越公方と呼ばれた。 |
▲守山西側山麓部の広い曲輪跡。奥に見える階段は山頂へと続く遊歩道である。 |
▲主郭に達するまでには小さな曲輪跡が幾つか残る。 |
▲ 守山城の西側は「守山西公園」として整備されている。 | ▲ 遊歩道入口。この入口の東側(左)の広場は発掘調査の行われた「北条氏邸跡」である。 |
▲ 山頂や尾根筋に設けられた曲輪は大変狭いのに対して西麓にはこのような広い曲輪がある。 |
▲ 西側の広い曲輪跡から先の遊歩道は頂上までこのような登り階段が続く。 |
▲さらに続く階段。 |
▲ 山頂主郭部と堀切で隔てられていた北側の曲輪。ここに展望台が建てられている。 |
▲ 山頂展望台から東側韮山城方向を展望。頼朝配流の蛭ヶ小島もここから見える。 |
▲ 守山城跡西麓の狩野川沿いに設けられた守山西公園の駐車場。 |
▲ 公園駐車場に掲げられた公園の案内図。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年1月3日 |
主要参考資料 | 「静岡県の中世城館跡」他 |