(ながくぼじょう)
静岡県駿東郡長泉町長窪
▲長久保城は駿東地域の軍事拠点として後北条氏が改築整備した城
である。現在、その遺構のほとんどは市街化されて消滅してしまった
がこの八幡曲輪とその南曲輪に土塁跡がかろうじて残されている。
(写真・長久保城址八幡曲輪とその土塁。)
北条氏康、苦渋の決断
天文六年(1537)から天文十四年(1545)にかけて今川義元が駿河東部から後北条氏の勢力を一掃しようとして武田信虎と同盟、富士川を越えて駿東地域に出兵を繰り返した。これを「河東一乱」と呼んでいる。 |
▲城山神社公園に残る土塁跡。 |
▲かつての主曲輪跡のショッピングセンター北側の国道246号沿いに建つ城址碑。かつての二の曲輪跡付近である。 |
▲城山神社公園の西側に駐車スペースが設けられている。 | ▲駐車スペース北側に公園入口がある。 |
▲入口から入って突き当りに物見台風の遊具施設が建っている。 |
▲公園はかつての八幡曲輪で、北から西側にかけて土塁が巡っている。 |
▲公園の南側は城山神社となっている。 |
▲城山神社はかつての南曲輪と呼ばれる部分で、やはり西側が土塁状の高まりを残している。 |
▲城山神社の参道入り口。 |
▲八幡曲輪(左)とその北側三の曲輪(右)の間を貫通する国道246号。三の曲輪跡は小学校の敷地となっている。 |
▲長久保城の城址碑。城山神社公園とは全く別の所に建っている。ページ上の「地図表示」をクリックして下さい。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年6月21日 |
主要参考資料 | 「静岡県の城跡」静岡古城研究会 |
↑ | 「静岡の山城ベスト50を歩く」他 |