(ながくてじょう)
市指定史跡
愛知県長久手市城屋敷
▲長久手城は岩崎城主丹羽氏と縁戚になった加藤氏の居城であった。
城は長久手合戦の戦場となり、焼失、廃城となったものと思われる。
(写真・字城屋敷の観音堂脇に建つ城址碑。)
古戦場の城跡
天正十二年(1584)四月九日早朝、長久手合戦の前哨戦となった岩崎城の戦は池田恒興、森長可隊の攻撃を受けて城兵のことごとくが討死して落城してしまった。この時、城代の丹羽氏重(十六歳)を補佐して奮戦討死した加藤太郎右衛門忠景の居城がここ長久手城であったのだ。岩崎城主丹羽氏次は徳川家康の小牧の陣に参陣して城を留守にしていたため弟の氏重が城代をつとめ、城の守りを固めていたのであった。 |
▲長久手市城屋敷の観音堂。御堂の東(右)側に城址碑が建っている。 | ▲江戸時代の文化6年(1809)11月に尾張藩士加藤氏によって建てられた「加藤太郎右衛門忠景宅址」の石標。 |
▲観音堂前の広場に立つ説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年3月15日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」他 |