(しらとりじょう)
富山県富山市吉作
▲白鳥城は神保氏の富山進出時に構えられたと思われるが、本格的に
構築されたのは羽柴秀吉の佐々成政討伐以後の前田氏時代のこと
である。縄張的にも織豊期の特徴を色濃く残しているとされている。
(写真・本丸外郭。)
呉東を見下ろす織豊系山城
富山平野の中央を南北に走る断層帯によって隆起した呉羽丘陵は北陸古道を押さえる要地にあり、古くから軍事的な要害として利用されてきたことが「源平盛衰記」や「太平記」に伝えられている。 |
▲城址東側登山口の駐車場。 |
▲駐車場の南端に城址碑が建っている。 |
▲城址碑の右側に遊歩道が整備されており、本丸まで続いている。 |
▲最初に登りきった削平地が東出丸跡。 |
▲空堀跡と曲輪跡のアップダウンを繰り返しながら進む。 |
▲本丸手前の二の丸跡。 |
▲二の丸の隅に井戸跡があるが、草に覆われていた。 |
▲本丸。駐車場からここまで約6分。 |
▲本丸に立つ説明板。 |
▲本丸の天守台と呼ばれる部分。 |
▲白鳥城平面図。 |
▲本丸西側。 |
▲西一の丸。本丸の西側に構えられた曲輪である。さらに西側一段下がって西二の丸がある。 |
▲本丸から見た富山市街。 |
▲駐車場展望台から見た富山市街。遠くの山並みは立山連峰である。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2016年4月30日 |
主要参考資料 | 「日本城郭大系」他 |