(かさまじょう)
市指定史跡・続百名城
茨城県笠間市笠間
▲笠間城は鎌倉初期に宇都宮氏一族の時知が僧兵の争いに介入して当地に築城した
ものである。以来三百八十年笠間氏の居城であったが、秀吉の天下統一時に滅ぼされ、
江戸期には徳川譜代の城として関東ではめずらしく石垣造りの近世城郭に改修された。。
(写真・天守曲輪への石段と石碑。)
笠間氏三百八十年、そして徳川譜代石垣の城へ
鎌倉初期、この地方では佐白山正福寺(現・笠間城跡)と布引山徳蔵寺(東茨城郡城里町徳蔵/笠間城跡の北8.5km)の僧兵が勢力争いを繰り返していた。正福寺は百坊、徳蔵寺は三百坊と言われているので正福寺の方が劣勢であったのであろう。正福寺の生田坊は下野国の有力御家人であった宇都宮頼綱に援軍を乞うたと言われる。 |
▲かつて本丸八幡台にあった二階櫓。現在は城址北西麓の真浄寺に移築され、七面堂として使用されているという。県指定文化財の建造物となっている。 |
▲二の門跡付近の石垣。 |
▲訪城前にかつて笠間城本丸八幡台に建てられていた二階櫓が移築されている城址西北麓の真浄寺に立ち寄った。 |
▲真浄寺境内に移築された二階櫓。 |
▲さあ、いよいよ登城である。笠間城大手門跡前の千人溜と呼ばれる大きな曲輪が駐車場となっている。 |
▲千人溜から先は車両進入禁止なので、ここからは徒歩である。 |
▲歩き始めてすぐに大手門跡となる。笠間城大手門跡の石碑が建っている。 |
▲大手門跡から道なりに歩いて行くと周囲には苔むした石垣を見ることができる。 |
▲二の門跡付近の石垣。 |
▲本丸の入口玄関門跡付近の石垣。 |
▲本丸跡。 |
▲本丸南西側は高くなっており、八幡台と呼ばれている。 |
▲八幡台の東端部には先の真浄寺に移築されている二階櫓が建っていた。現在はその跡に笠間城八幡台櫓跡の碑が建っている。 |
▲本丸片隅に建つ城址碑。 |
▲これも本丸東端部に建つ城址碑。城の由緒が刻まれている。 |
▲本丸内に立つ説明板に描かれた城址図。 |
▲本丸から東へ向かう。天守曲輪方面への道。 |
▲堀切。 |
▲天守曲輪への石段。笠間城天守跡の碑が建っている。 |
▲石段を登り切ると天守台の石垣が現れる。 |
▲2011年3月の大震災以降、石垣には崩落防止の処置が施され、立ち入り禁止となっていた。 |
▲天守台の脇をさらに上る。 |
▲最高所に鎮座する佐志能神社。天守櫓の古材が使われているそうだ。こちらも訪城時には立ち入り禁止となっていた。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2015年5月2日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「関東の名城を歩く・北関東編」他 |