(かわごえじょう)
県指定史跡・百名城
埼玉県川越市郭町二丁目
▲川越城は扇谷上杉氏が古河公方に対するために太田道灌らに命じて築か
せた城である。その後も関東の北の押さえとして重要な城として存続した。
(写真・保存修理された本丸御殿)
関東北の押さえ
関東平野のほぼ中央、武蔵野台地の北東端部に川越城は築かれている。関東が古河公方、関東管領山内上杉氏、扇谷上杉氏の三つ巴の戦乱の時代に扇谷上杉氏の城として築かれた。 長禄元年(1457)、扇谷上杉の当主上杉持朝は家宰の太田資清(道真)、資長(道灌)父子に命じて自身の隠居先でもあった川越に古河公方に対する最前線の拠点としての城を築かせた。これが川越城のはじまりである。同時期に江戸城も築かせている。上杉持朝はみずから川越城主となり、古河公方足利成氏の動きに目を光らせた。そして太田道灌を江戸城に置いた。 その後、川越城は扇谷上杉氏の居城として持朝の後、政真、定正、朝良、朝興、朝定と続いた。 定正のとき、文明十四年(1482)に古河公方と山内・扇谷両上杉氏との和睦が成立すると戦いは山内上杉と扇谷上杉の争いとなり、山内上杉顕定の鉢形城と扇谷上杉定正の川越城との間で激しい戦いが展開された(長享の乱/1487-1505)。上杉定正は実蒔原、須賀谷原、高見原の戦いで山内方に連勝したが、明応三年(1494)の戦陣で落馬して急死してしまった。すると、山内方が優勢となり、明応六年(1497)に上杉顕定は川越城の西約4kmの入間川対岸の河越館跡に陣を立て、およそ七年に渡り攻防を続けた(上戸陣)。 定正の後を継いだ朝良は永正二年(1505)に降伏して山内上杉顕定との争いに終止符を打った。朝良は江戸城に隠居し、川越城には名代として上杉朝興が入って扇谷の家督を継いだ。 この頃には、小田原城を本拠地とした後北条氏が相模を支配しており、二代氏綱は大永四年(1524)に江戸城を攻め取り、翌年には岩付城(さいたま市)を落として扇谷上杉氏の支配域を侵していた。天文四年(1535)にはついに川越城に迫っている。 川越城の上杉朝興は後北条氏の脅威のなか、天文六年に没した。嫡男朝定が家督を継いだが、北条氏綱との戦いに敗れて松山城(比企郡吉見町)へ逃れた。 後北条氏の城となった川越城には氏綱の三男為昌が城代として配された。天文十五年(1546)、川越城を追われた上杉朝定が山内上杉氏と古河公方と協同して八万の大軍で川越城へ押し寄せた。ときの城将は黄備えの「地黄八幡(じきはちまん)」の旗印で知られる北条綱成であった。綱成は半年ほどを籠城戦で戦い抜き、後詰の北条氏康本軍の来援とともに出撃して協同軍を打ち破った。世にいう河越夜戦である。この戦いで上杉朝定は討死、扇谷上杉氏は滅んだ。 川越城主は北条綱成の後、後北条氏家臣の大道寺氏が城代をつとめ、大道寺盛昌、周勝、資親、政繁と続いた。この大道寺氏時代に城の改修が実施されたようで後北条氏特有の障子堀などが発掘で検出されている。 天正十八年(1590)、豊臣秀吉による小田原征伐がはじまった。大道寺政繁は上野国松井田城(群馬県安中市)で豊臣勢を迎え撃ち、四男の直次が川越城を守った。しかし多勢に無勢、大道寺政繁は松井田城で降伏開城、川越城にも豊臣方の前田利家勢が押し寄せて開城した。 後北条氏滅亡後、関東は徳川家康に与えられた。家康は江戸城を本拠とし、川越城には重臣酒井重忠が一万石で入り、川越藩を立藩した。 その後、酒井忠利、忠勝、堀田正盛、松平信綱、輝綱、信輝、柳沢吉保、秋元喬知、喬房、喬求、凉朝、松平朝矩、直恒、直温、斉典、典則、直侯、直克、康英、康載と城主(藩主)が変転しつつ明治に至った。 川越城は酒井忠利や松平信綱の時代に拡張整備が実施され、近世川越城が完成したとされる。御殿に関しては当初、本丸に将軍の宿泊のための御成御殿が建てられ、城主御殿は二ノ丸にあった。やがて御成御殿は不要となり、本丸は更地となった。弘化三年(1846)、二ノ丸御殿が焼失すると本丸に新たな御殿が建てられた。この一部が現在に残されている本丸御殿である。 |
▲本丸御殿は昭和42年(1967)に県指定文化財に指定された。 |
▲家老詰所の様子。 |
▲県指定史跡の城址碑。 |
▲川越市立博物館。かつての二ノ丸にあたる。 |
▲本丸門跡の碑。本丸北門である。 |
▲平成の保存修理工事を終えた本丸御殿 |
▲川越城図。 |
▲御殿の玄関。 |
▲玄関内部。 |
▲御殿内の廊下。 |
▲移築された家老詰所。 |
▲初雁武徳殿の碑。昭和初年、御殿は武道練磨の場として利用された。 |
▲三芳野神社。太田道灌は築城にあたり当社を鎮守とし、歴代城主は厚く保護した。 |
▲「ここはどこの細道じゃ…」のわらべ歌発祥の地でもある。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2023年5月9日 |
主要参考資料 | 「川越城が知りたい」 |
↑ | 「ハンドブック川越の歴史」他 |