(とびやまじょう)
国指定史跡
栃木県宇都宮市竹下町
▲ 飛山城は宇都宮氏重臣芳賀氏の築いた城である。時には宇都宮城の外郭として
落城の憂き目を見、またある時には宇都宮城奪還の拠点ともなった。芳賀氏は宇都宮氏の
臣籍にあったとはいえ、その実力は主家と肩を並べ、互いに攻伐を繰り返している。
(写真・飛山城東面の外堀と土塁。)
主家を凌ぐ芳賀氏の拠城
飛山城は宇都宮氏に属する芳賀高俊によって永仁年間(1293-98)に築かれたとされる。芳賀氏が文献的に確認されるのは源頼朝による奥州征伐(文治五年/1189)の時で、宇都宮朝綱麾下の家臣芳賀高親が活躍したことが記されている。この高親の頃の居城は御前城(真岡市/飛山城の南南東14km)であった。御前城は芳賀を称した高澄(承保三年/1076)以来代々の居城であったのだが、宇都宮氏との関係を強化するために高俊が飛山城を築いたものと見られている。 |
▲曲輪V東面の2号堀。堀の左側が曲輪V、右側が曲輪Xである。 |
▲飛山城の南面から東面にかけて張り出した櫓台が五ヵ所ある。 |
▲城址駐車場に到着。見事な土塁に感無量。関東といえば「土の城」である。 |
▲城址に併設されている「とびやま歴史体験館」。 |
▲まずは城址碑。そして鯉のぼりの舞う木橋を渡って登城開始。 |
▲登城口となっている木橋。 |
▲外郭(曲輪Z)から内郭(曲輪Y)への虎口。枡形となっている。 |
▲外から二番目の堀(5号堀)を渡ると門がある。曲輪Yへの入り口である。 |
▲門を入ると右側に堀(4号堀)が延び、中程に土橋がある。写真左が曲輪Y、右が曲輪W、高低差がある。 |
▲曲輪Wには掘立柱建物が5棟復元されている。説明では将兵の詰所ということである。 |
▲曲輪Wの北側の堀(2号堀)。右側が曲輪Vである。 |
▲城の北と西は鬼怒川の流れで断崖となっている。曲輪Wの西端から鬼怒川越しに宇都宮中心部方面を眺める。 |
▲4号堀西端からの眺め。 |
▲曲輪Yに復元された竪穴建物。半地下式で倉庫として使われていたものと見られている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年5月1日 |
主要参考資料 | 「国指定史跡 飛山城跡」 |
↑ | 「宇都宮城のあゆみ」他 |