(あかしじょう)
国指定史跡、百名城
兵庫県明石市明石公園
▲明石城は二代将軍徳川秀忠の命によって築かれた。天下泰平
のために西国外様大名を押えておく必要があったからである。
(写真・明石公園正面広場から見た巽櫓(右)と坤櫓。)
将軍上意の築城命令
明石城が築城される以前、この地域を統べる城は船上城(明石市新明町)であった。船上城は山陽道と明石海峡を扼する要衝の地にあり、嘉吉の変(1441)頃に設けられたと言われる。その後、天正十三年(1585)に羽柴秀吉の命で高山右近(高槻城主)が六万石で入城してから増改築された。大坂の陣(1614-15)で豊臣氏が滅び、戦国争乱の世に終止符が打たれて間もなく、元和三年(1617)に小笠原忠真が信州松本(松本城)から十万石に加増されて明石に入部、船上城に入った。 |
▲県立明石公園入口。 | ▲公園南側に残る中堀。 |
▲公園入口はかつての太鼓門枡形である。 |
▲公園に入ると眼前に白塀で繋がった二つの櫓が目に入る。これは向かって左側の坤(ひつじさる)櫓。 |
▲向かって右側の巽(たつみ)櫓。 |
▲追の門跡の石段を上がって二の丸へと向かう。 |
▲二の丸の高石垣。 |
▲二之丸から本丸へ入る登の門跡。 |
▲巽櫓。 |
▲本丸展望所からの眺め。ビル群の向こうの山は淡路島である。 |
▲人丸塚(ひとまるづか)。弘仁三年(812)空海がここに楊柳寺を建て、仁和の頃(880頃)に柿本人麿が祀られた。築城後は城の守り神として祀られてきた。 |
▲坤櫓。 |
▲本丸跡。 |
▲天守台。 |
▲坤櫓。櫓はやはり石垣上の姿が格好いい。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年4月30日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |