(くるめじょう)
県指定史跡、続百名城
福岡県久留米市篠山町
▲ 久留米城は当初は砦程度の小城であったが、毛利秀包の入城によって近世
城郭に整備され、有馬氏によって完成された城である。天守は建てられなかったが
本丸を廻る多聞は二重で建造され、なかなか立派なものであったと言われている。
(写真・本丸南面の石垣と堀。)
有馬氏二百五十年の府城
永正年間(1504-21)、当地の土豪が笹の生い茂る丘を拓いて城を築いたのが久留米城の始まりで、笹山城と呼ばれていたという。その後荒廃して田圃となっていたものを天文年間(1532-55)に御井郡司某が再拠したとされる。天正初期(1573頃)、高良山座主良寛(りょうかん)の弟麟圭(りんけい)が城主となっていた。 |
▲城址南側の本丸への入り口。 | ▲本丸南面東側の石垣と堀。 |
▲ 本丸南面西側の石垣。 |
▲本丸への入り口、冠木御門跡。 |
▲「久留米城本丸址」の碑。 |
▲太鼓櫓跡から見た石垣と堀。 |
▲本丸北側の井戸。本丸にはかつて井戸が三つあったと言われ、現在は二つ残っている。固い岩盤をくり抜いて作られていると説明されている。 |
▲「津田一伝流遂退先生之碑」。津田一伝流は一伝流の奥義に達した津田正之に藩主が剣術の一派を開かせたもので久留米藩の「御流儀」となった。 |
▲月見櫓跡から駐車場となっている蜜柑丸を見る。 |
▲蜜柑丸とその北面、月見櫓の石垣(正面)。 |
▲月見櫓跡の石垣。 |
▲蜜柑丸南面の石垣。蜜柑丸は本丸東側にあり、現在は数台分の駐車場となっている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年8月16日 |
主要参考資料 | 「日本城郭大系18」他 |