白山城
(はくさんじょう)

周智郡森町城下


▲白山城は戦国期に天方本城の城主天方通季が
より堅固な城の必要性から築いた城とされている。
(写真・山麓の谷本神社から見た白山城)

本城の前衛

周智郡森町大鳥居に天方氏の居城である天方本城跡があり、その南側三倉川対岸の山上に白山城跡がある。白山城は天方氏の支城として築かれたものと伝えられている。

文亀元年(1501)、遠江守護斯波義寛の軍勢が今川氏親に対抗して遠江に進攻、天方本城を占拠した。天方本城の城主天方山城守通季は城を脱して今川方に身を寄せ、後日に今川勢の後援を得て城を奪還している。「森町史」ではこの時に、より堅固な城の必要性を痛感した通季が築いたのがこの白山城であるとしている。

天方本城の城址案内板に白山城のことが記されている。「…翌年(1569)六月十九日天方本城と支城の白山城は徳川軍に攻略され、通興は降伏し許された。」とある。永禄十二年(1569)六月に掛川城を落とした徳川勢が未だ徳川に従わずにいた飯田城と天方本城を攻撃、この戦いで飯田城は城主以下悉くが討死して落城したが、天方本城の城主天方山城守通興(通季の孫)は降伏して許された。

さらに城址案内板には元亀四年(1573)三月に「…遠州での劣勢挽回を図るべく、平岩七之助親吉を大将に千余名の軍勢で、天方本城と白山城に拠る武田方の遠州先方衆で守将の久野弾正忠宗政、反徳川の遠州の小侍達ら百余名を攻略した。」と記している。前年の三方原合戦で徳川家康は武田信玄に大敗を喫したが、武田勢は翌年二月に三河野田城を落とした後に信玄が他界して信濃路から甲斐へ引き上げてしまったのである。そこで家康は遠江の森、一宮方面に展開した武田方の諸勢を一掃するために平岩親吉を大将とする軍勢を差し向けたのである。この戦いで天方本城と白山城に布陣していた武田方の久野宗政や小侍らは城を捨てて甲斐へ遁走したということなのである。

天方氏の本拠である天方本城の前衛としての存在が白山城であったといえる。


▲白山城の南麓に谷本神社が鎮座する。

▲谷本神社の裏山が城址である。

▲神社前から東方の天方新城のある山稜を見る。

▲三倉川から見た白山城の城山(2006)。

----備考---- 
訪問年月日 2025年10月28日
 主要参考資料 「静岡県の城跡」他

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