尉ヶ峰城
(じょうがみねじょう)

           静岡県浜松市北区         


▲ 尉ヶ峰城は遠江南党井伊氏によって築かれたものと思われ、千頭峯城に比定する説も
あるほどの城跡である。しかし、その存在を知る人はごく稀である。(写真・城域最南端の出郭跡)

南党の山城跡

 尉ヶ峰は浜松市北区内の三ヶ日町、細江町、引佐町の三町の境界線上にあり、奥浜名自然歩道としてのハイキングルートが整備されている。山頂からは眼前に浜名湖が広がりハイカーの人気スポットのひとつとなっている。標高433mの尉ヶ峰は浜名湖北岸の最高所であり、その尾根筋は引佐町と三ヶ日町にわたり東西に約10kmほど伸びている。 
 戦国期以前、山城が全国的に築かれた時代にあってはこの尾根筋は重要な交通路であった。この尉ヶ峰を中心とする尾根筋も南北朝時代に井伊谷(引佐町)を本拠とする井伊氏が南朝側に立って北朝の幕府軍を迎え撃つ際に重要な役目を担っていたはずである。つまり、現在の三ヶ日町摩訶耶周辺に点在する井伊氏が築いたとされる城砦群(千頭峯城鯉山砦、中千頭砦など)とを結ぶ補給路としてまたは兵の移動、連絡路として戦略的にも最重要視されるべきものであり、身体に例えるならば動脈血管にあたるといえる。
 尉ヶ峰はその戦略路でもある尾根筋の中間にして最高所にある。当時、ここに城砦が確保された可能性は極めて高いと言わざるを得ない。過去に城郭研究者によって実地踏査され、縄張図も作成されている。静岡古城研究会刊「古城35号」「古城49号」に掲載されている。それぞれ見崎鬨雄氏と高山新司氏の手に成るものである。両者ともに尉ヶ峰を千頭峯城に比定されており、該当する地域の城郭保存関係者等に一石を投じるものとなっている。
 千頭峯城は遠江南党の領袖となって活躍した井伊遠江介道政が本拠地井伊谷城と詰城である三嶽城の西の支城として築いたものとされ、延元四年(1339)十月三十日に幕府軍高師兼の軍勢によって攻め落とされたことが判っている。
 一般的には三ヶ日町の摩訶耶寺北の山城跡を千頭峯城と呼び、南北朝期の城跡として紹介されているが、実のところはそれを証明するものはないのである。確かに山城としての遺構を多く残す城跡なのであるが、その遺構の多くは戦国期のものなのである。だからと言って否定することもできない。それは南北朝期の城跡を私たちがじかに目にすることはほとんど不可能にちかいといえるからである。その多くが戦国期に改築されたりまたは江戸期以降に神社仏閣の建立などによって改変されているからである。

 となると、尉ヶ峰は千頭峯城であるかどうかは別にして、後世に手が加えられていない南北朝期の城跡として見ることができ、大変貴重なものといえるのではないだろうか。とはいえ、この当時の城は自然地形に少し手を加えただけのもので戦国期に発達した土塁や竪堀、虎口といった技巧的な施設は設けられていない。ここは城跡だと言われなければほとんどの場合分らないものである。ところが城郭研究の専門家の目によればここが城跡であったことを見事に証明してくれているのである。
 南北朝の争乱が収まり、井伊氏も今川氏次いで徳川氏に仕えるようになると武家政権に反抗した当時のことを抹殺するかのようにして道政から数代の当主を系図から抹消している。この尉ヶ峰もかつては城ヶ峰と呼ばれていたのではないか。城ヶ峰の名は全国に何ヵ所もあるようだが、それはかつてそこが城であったことをしめしているのである。しかし、南党井伊氏の城跡であることを慮って尉の字をあてたのかも知れない。


▲ 城内で最も広い平坦地であるニノ郭。この先が本郭となる。
 ▲ 細江町から三ヶ日町にかけて奥浜名スカイラインと名付けられた林道が山肌を縫うように設けられている。その中間点付近であろうか、尉ヶ峰直下に登山者向け駐車場がある。
▲ 駐車場の北側に設けられたこの階段が登山道の入り口となっている。ここから山頂まで約20分ほどである。

▲ 登山道を進んでしばらくするとこの案内板が立っている。江戸時代の気賀の近藤家の殿様がここで猟をした時に驚いたイノシシが転がり落ちたという伝承があり、この先の急な登り路は獅子落しと呼ばれている。

▲ 尉ヶ峰登山道最大の難所、獅子落しである。登山者用に岩場にロープが取り付けられている。

▲ 南の出郭。獅子落しの難所を登りきるとここに出る。北朝幕府軍との戦闘があったとすれば、ここが最大の激戦地となったと思われる。

▲ ニノ郭。南の出郭から尾根筋を北へ100mほど行くとここに出る。最も広い平坦地で武者溜りであったかも知れない。

▲ 本郭。休憩と展望のための東屋が建てられ、獅子落としに因んだものかイノシシの作り物が置かれている。

▲ 本郭から浜名湖を眺める。

▲ 本郭西側から北側にかけて取り巻くように腰郭が見られる。

▲ ニノ郭から北東方向に伸びる尾根筋。ハイキングコースでもあるため、歩きやすくなっている。

▲ 本郭から北東(細江町方面)へ200mほどのところに岩場がある。何らかの施設に利用された可能性もある。

▲ 岩場の先の平坦地。出郭跡と見られている。
----備考----
訪問年月日 2012年5月19日
主要参考資料 「古城35号」
「古城49号」

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