きがこんどうじんや
(きがこんどうじんや)

                   浜松市北区細江町気賀上町       


▲ 陣屋後に残る椎の木。「江戸椎」と呼ばれる。実が大きく、毎年幕府へ献上されていた。

姫街道の関を
         守りて二百五十年

 遠江における近藤氏の祖となるのが近藤石見守康用である。永禄十一年(1568)、徳川家康の遠州入りの際に活躍した井伊谷三人衆のひとりである。康用の「康」は家康の一字で、遠州入りの際に許されたものである。所領も井伊谷を中心とした浜名湖北部が与えられ、その子孫はそれぞれ独立して金指井伊谷、気賀、大谷花平に分立、五近藤として栄えた。
 ここ気賀近藤氏の祖は康用の子秀用の次男用可である。元和元年(1615)、五千石の領地をもって気賀に陣屋を構えたのがはじまりである。気賀に関所が設けられたのは慶長六年(1601)であるが元和年間からは旗本近藤氏が代々関守となり、明治二年(1869)の関所廃止にいたるまで約二百五十年間十二代が続いた。
 六代目縫殿助用隋(もちゆき)は宝永四年(1707)の大地震で田畑が海水に浸かり不毛の地となってしまったことで塩に強い藺草の栽培を導入したことで知られている。明和三年(1726)、豊後国から取り寄せた藺草の栽培は、その後の地域産業の振興に大きく寄与した。この藺草は畳表の原料として昭和二十年代頃までこの地方の特産物であった。
 また七代目用和は刀工としても知られている。
 現在、陣屋跡には椎の木だけが残って往時を偲ばせている。
気賀関跡
▲ 街道脇の気賀関所跡の碑。
本番所跡
▲ 現存する本番所の一部。屋根の
三分の一ほどが残っている。
再建された気賀関所
▲ 観光用に復元された関所。
----備考----
画像の撮影時期*2004/11