安威砦
(やすたけとりで)

      掛川市下土方     


▲安威砦は天正八年(1580)徳川家康が高天神城奪還の為に
築いた砦群のひとつである。大須賀康高の持ち場であった。
(写真・安威砦の東側)

高天神包囲第七の砦

高天神城の東約1.5kmの丘に築かれた砦で、火ヶ峰砦の南に隣接している。火ヶ峰砦と同じく高天神城を包囲するため、天正八年(1580)に徳川家康の命によって築かれた。

一般的にこの時期に家康が高天神城包囲のために築かれた砦を高天神六砦と呼ばれており、小笠山砦能ヶ坂砦、火ヶ峰砦、獅子ヶ鼻砦中村砦三井山砦がそれにあたる。安威砦も高天神六砦に加えられるべきなのであるが、おそらくは火ヶ峰砦と尾根続きであることから一体化したものとされたのかもしれない。横須賀藩の記録ではこの安威砦を含めて七砦としている。

横須賀城主大須賀五郎左衛門康高は中村砦、獅子ヶ鼻砦、火ヶ峰砦そして安威砦を持ち場とされ、近郷から麾下に加えられた横須賀衆が配置された。また、徳川家康がここに本陣を置いたとも言われている。

現在、砦の遺構は堀や複数の曲輪が確認されるという。しかし、竹林などの藪化が進み、踏査するには厳しい状況にある。


▲安威砦北側からの望見。

▲安威砦(左)と火ヶ峰砦(右)を分断する道路。



----備考---- 
訪問年月日 2023年10月19日 
 主要参考資料 「静岡県の中世城館跡」
「静岡県の城跡」他

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