衣笠城
(きぬがさじょう)

        神奈川県横須賀市衣笠町      


▲ 衣笠城は三浦一族の本拠地であり、鎌倉期以前の歴代当主の
居城であった。頼朝挙兵時、三浦氏はこれに応じて挙兵したものの頼朝
らとの合流に失敗、衣笠城に籠城するも激戦の末に落城してしまった。
(写真・衣笠城主郭と三浦義明公八百年記念碑。)

衣笠合戦、
           老命を武衛に投げうちて

 三浦半島の中央部に位置する衣笠城は三浦一族の本拠として知られる。三浦氏が当地を与えられ勢力を伸張するようになったのは前九年の役(1051-62)で三浦為通が源頼義に従軍、その戦功によってであったとされ、康平年間(1058-65)に築かれたといわれる。したがってこの城の歴史は平安時代にまで遡ることになる。城といっても戦国期に発達した山城のように土塁や堀切などで防御効果を高めるような工夫はされていない。この当時の城は地形そのものに要害性を求める場合がほとんどであり、堀などは補助的なものであったに過ぎない。
 為通の後、為継、義継と続いて勢力を相模東半国と安房にまで拡げ、在庁官人として三浦介を称するに至る。義継の後を継いだ義明は源義朝に従って保元・平治の乱に参陣した。平治の乱敗戦後は三浦に戻り、平家全盛下雌伏の時期を余儀なくされる。それでも源氏への忠誠心が揺るぐことはなく、大番役で上洛の際には伊豆(蛭ヶ小島)の頼朝の配所を訪ねていたと言われる。
 治承四年(1180)の頼朝挙兵の際、義明は一族を挙げてこれに応じた。この当時の三浦一族は多くの分家を生み、岡崎、佐奈田、杉本、和田(和田城)、長井、佐原(佐原城)といった各氏が三浦半島各地に蟠踞して勢力を振るっていた。この内、岡崎義実・佐奈田義忠父子は一族の先陣を切って伊豆の頼朝のもとに馳せ参じ、山木館襲撃に加わっている。
 八月二十三日、山木兼隆を討取った頼朝勢は相模石橋山に進出、三浦一族の軍勢との合流を目指す。しかし、豪雨のために三浦勢五百騎は酒匂川を渡ることができずにいた。平家方の大庭景親勢三千余騎はこれを好機として風雨の中、石橋山(石橋山古戦場)を夜襲して頼朝勢を打ち破ってしまったのである。
 石橋山の敗戦を知った三浦勢はやむなく撤収せざるを得なかった。途中、鎌倉由比ヶ浜で平家方の畠山重忠勢と遭遇して戦闘となり、三浦勢は善戦して畠山勢を退け、本拠地である衣笠城に集結した。この当時、義明は老齢のため家督は子の義澄が継いでおり、軍勢の采配を振っていたのは義澄であった。

 二十六日、衣笠城の三浦勢は平家方の攻撃に備えていた。大手の東木戸口は三浦義澄、佐原義連らが、西木戸口を和田義盛、金田頼次らが固め、中陣は長江義景、大多和義久らが布陣した。総勢四百五十騎ほどであったという。攻め寄せる平家方は昨日由比ヶ浜で苦杯を呑まされた畠山重忠勢を中心に河越重頼、江戸重長らの軍勢が加わった三千余騎であったと言われる。多勢に無勢、さらに昨日の戦いで疲れていた三浦勢の不利は明らかであった。
 寄せ手の中の金子十郎家忠の戦いぶりは凄まじく、木戸を破って城内に乗り込んできた。これを望見していた義明は「敵ながら天晴れよ」と酒を贈ったという。この金子十郎、結局は和田義盛の強弓に射落とされて退いてしまったそうだ。
 義澄は夜になると城を捨てて安房へ渡ることを決し、老父義明を伴って脱出しようとした。しかし義明はこれを断り、ひとり城に残ることを一族の面々に伝える。


▲ 衣笠城主郭部分。

 「われ源家累代の家人として、幸ひにその貴種再興の秋に逢ふなり。なんぞこれを喜ばざらんや。保つところすでに八旬有餘(八十歳以上)なり。餘算(余命)を計るに幾ばくならず。今老命を武衛(頼朝)に投げうちて、子孫の勲功に募らんと欲す。汝等急ぎ退去して、かの(頼朝公の)存亡を尋ねたてまつるべし。われひとり城郭に残留し、多軍の勢に模して、重頼に見せしめん」(「全訳吾妻鏡1より。()内は管理人)
 衣笠城が落城したのは翌日の午前中であったといわれる。義明、八十九歳であった。
 衣笠城で義明と涙の離別をした義澄以下の三浦一族の面々は安房に渡海して無事、頼朝らと合流することができた。鎌倉開府後、三浦一族は幕府の要職を占めるに至るが、そのすべては義明の尊い犠牲の上に成り立つものであったといえる。

 ▲ 大善寺駐車場(左)と登城口への坂道。
▲ 登城路入口に立つ案内板。

▲ 城址への登城路。大善寺の裏手を登って行く。

▲ 登城路に立つ説明板。

▲ 登城路の脇に建っていた「衣笠城趾」の碑。碑面左には三浦同族会と彫られていた。

▲ 主郭部入口に立つ「横須賀風物百選衣笠城址」の標柱。

▲ 「三浦大介義明公八百年記念碑」。

▲ 城址最高所に建てられた「衣笠城址」の碑。

▲ 衣笠城址碑の近くに「物見岩」と呼ばれる巨岩がある。
----備考----
訪問年月日 2013年1月4日
主要参考資料 「日本城郭総覧」
 ↑ 「全訳吾妻鏡」他

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